社会学感覚9−2 役割現象とはなにか

社会学感覚(文化書房博文社1992年/増補1998年)
役割現象論

als(として)規定

 近代社会における個人は、社会的場面において、つねに「何者かとして」行為している。わたしたちは「役割」から始めないで「として」から思考を始めよう。
「□□として」――これこそ役割現象のもっとも基本的なエレメントである。これをかつてカール・レーヴィトは「als規定」(Als-Bestimmtheit)と呼んだことがある▼1。〈als〉とはドイツ語で「として」のことだ。わたしたちは他者をありのままに認識することはできない。かならずあるカテゴリーを適用して認識する。大学教授として・ナースとして・店員として相手を認識する。これは他者に対してだけでなく自分にも適用される。わたしたちは自分を学生として・患者として・客として類型化図式に当てはめることによって、自分の行為を方向づけていく。
 このように「als規定」は、(1)他者を類型化することによって他者を知り認識する「他者類型化」と、(2)類型化図式を手がかりにして自分の行為の方向づけを定める「自己類型化」の側面からなっている。これはさらに(3)「社会関係についての類型化」に連関している。つまり〈大学教授と学生の社会関係〉〈ナースと患者の社会関係〉〈店員と客の社会関係〉といった社会関係に関する類型化図式に行為者が入り込むことになる。〈他者-自己-関係〉の三項について「□□として」という類型化がおこなわれているのである。
 これは、無限の多様性をもつ社会的現実に対して、ごく限られた知的能力しかもたない人間にとっての一種の「次善の策」である。どんなに親密な人であっても、その全体を知ることは不可能だ。わたしたちはもっとも親密な人間であるはずの自分自身についてさえその全体を認識しているとはいえないくらいなのだ。類型化図式はそれを補うために社会が発明した認識装置である▼2。

相互作用の媒体としての役割

 役割現象とは〈他者-自己-関係〉に関する類型化をめぐる一連の現象であり、役割は類型化図式にあたる。その構造原理は「als規定」である。このように基本構図を押さえた上で、役割現象の基本特性について考察してみよう。
(1)常識的構成体――役割はまず日常生活において行為者によって使用され、使用されることによって再生産・再構成される知識構成体であること。その点で役割は「社会学の発明ではなく社会の発明」なのである。自然認識と社会認識の根本的なちがいがここにある。自然の場合はそれを認識してえられるカテゴリーは認識する人間の側に存在するが、社会の場合は社会の側にそのようなカテゴリーがすでに存在する▼3。社会学および社会科学はそれをさらに加工し精密化する営為であるから、科学的概念は二次的構成体にすぎない。役割という類型化図式もすでに社会のなかに存在し、ある程度人びとに共有された第一次的な構成体である▼4。たとえば、わたしたちが「いやな役まわりだ」とか「役得だ」と一喜一憂すること自体、すでに役割を日常的カテゴリーとして対象化し操作していることを示している。集団に共有された知識在庫となるとき、類型化は規範性と正当性をおび、役割期待として作用する。ジンメルのことばを借りると、それは「社会を可能にする知識事実」である。
(2)個性認識――類型化図式によって認識するといっても、わたしたちは類型と他者とを同一視するわけではない。類型からのずれや偏差から他者の個性を組み立てるのだ。ジンメルによると「他者の個性の完全な知識がわれわれには拒まれている」ために「われわれは彼をその純粋な個性にしたがってみるのではなく、われわれが彼を数えいれた一般的な類型によって担われ、それによって高められたりまた低められたりした彼をみるのである。▼5」この意味で役割は一種の理念型といってよい。
(3)社会外的不可測性――これも他者類型化の側面についてである。わたしたちは警察官がたんに警察官だけでないことを知っているし、店員がたんに店員でないことも知っている。ちょうどそのときたまたまその人のものとなった役割の担い手としてのみ他者を認識し働きかけるわけではない。人は他者のその場の社会関係からはみだす部分をたえず想定する。予測可能な類型化図式に社会外的不可測性をまぜあわせるのである▼6。だからこそ、たとえば仕事上のつきあいから親密な友情や愛情が生まれうる。このように人間の相互作用は、役割と役割とがギアをかむように進行する機械的な過程ではない。たえず余剰をふくんだスリリングな過程なのである。
(4)共犯性あるいは共謀性――たとえば店員が客に「おまえジャマだよ」といったり、逆に客が店員に「いらっしゃいませ」と呼びかけるのはルール違反である。これでは客の購買行為は成功しない。〈客-店員-購買〉という類型化図式にふたりの行為者と社会的場面がおさまってはじめて「客の購買行為」のシーンが成立する。したがって双方がひと組の役割を準拠図式として採用することによってはじめて相互作用に一定の予測性と安定性がえられる。この予測性と安定性にメリットがあれば、類型的な社会関係が維持される。いやいやであろうが、一種の「茶番」としてであろうが、類型的な社会関係が共犯的=共謀的に演じられることになる。「共犯」が成立するとき相互作用の予測性と安定性が高まるために、役割の類型化図式は規範性をおびてくる。その意味で役割現象は虚構性をもっている。つまり「あたかも□□であるかのように」(als ob)経過する。この虚構的な状態は一定の強固さをもちえるものの、所詮うつろいやすい〈こわれもの〉にすぎない。それは本質的には偶発的(contingent)な現象である。
(5)事実行為性――類型化図式それ自体は抽象的である。しかし、その抽象性に対して役割演技は具体的である。演劇においてシナリオのもつ抽象性に対して俳優による上演があくまで具体的であるのと同じことである。そして注意しなければならないのは、俳優は役割のマリオネット・役割の奴隷・役割の媒体ではないということだ。「文学的にも現実的にもただひとりのハムレットしか存在しないのに演劇的には多くのハムレットが存在する」――いわば「演劇的個性」がじっさいの上演においてそのつど創造される。演劇は台本に書かれた役割の再現ではない▼7。これは日常生活における行為者も同様である。抽象的な類型化図式を手がかりにそのつど役割は具体的な事実としての行為によって創造される。したがって類型化図式の方が行為の媒体なのである。
(6)行為者の理解性――役割は相互作用における解釈図式として行為者を媒介する。行為者はその場その場で有効と考えられる役割を自分の知識在庫から選択し、それを他者認識の手だてに使ったり、自分の行為の方向づけをするのに用いる。役割についての観念とじっさいに演じられつつある役割を媒体にして行為者は自己提示・自己理解・自己反省をおこない、アイデンティティの調整をおこなう。そこでは行為者の一連の解釈が大きな比重をもつことになる。だから行為者の理解作用がなければ役割現象は成立しない。役割現象は解釈的過程である。したがって、役割の担い手といっても、個人が役割のマリオネットであるということではない。役割行為は基本的に意味行為であり、行為者の理解が大前提なのである。まさにこの点において、個人は役割の担い手となりうる。

役割概念の定義

 ここまでくれば、役割現象における役割概念の意味について明確に定義できるだろう。役割とは、ルーズにいえば「類型化された期待に対する類型化された反応」である▼8。もう少しくわしくいえば「特定の有意性領域のなかで機能する規範的裏づけをもった類型化図式」である▼9。
ここでは「有意性」(relevance)についてだけ説明しておけば十分だろう。有意性とは、ごくかんたんにいえば、「ふさわしさ」「適切さ」ということだ。
 たとえば、教師が自分をたんに教師としてではなく、もっと全体的にとらえてほしい――きさくなスポーツマンとか多趣味な才人として――と思ってアピールしても、教室のなかで生徒はかれを基本的に教師として認識するから「また自慢話だ」と受けとられてしまうのが関の山だろう。また男性患者が自分をひとりの若い男性としてとらえてもらいたいと思っても、病室のなかではナースはかれをもっぱら患者として認識し、そこからはみだす部分――ひとりの魅力的な男として誇示しようとするかれの行為――を患者役割からの逸脱とみなすだろう。いうまでもなくこれらのことは逆も同様である。また、上流階級の社交界ではお互いの社会的地位をもちこまないのがルールである。仕事の話をもちこむのは下品なことになる。社交界における有意性は現実社会の有意性と厳格に区別されているからである▼10。
 このように一定の社会的場面においてのみ役割は強力に機能する。ある限定された時間的・空間的・社会的文脈が特定の役割に優先的に妥当性と正当性をあたえるのである。だから、教室においては〈教師-生徒〉関係が優先され、病室においては〈ナース-患者〉関係が優先される。他方、教師の自宅に遊びにいった生徒は、音楽マニアとしてのかれやそのフェミニストぶりを発見しやすいだろうし、路上で再会した元患者とナースの会話は病室でのそれとまったくちがったものになるはずである。社会的場面が変わることによって有意性が変わるからである。つまり場面ごとに優先順位が変わるということだ。教室のなかでは〈教師-生徒〉関係が他の類型化図式よりも優先され、また病室のなかでは〈患者-ナース〉関係が優先される。これが「有意性領域」のおおよその意味である。

さまざまな役割類型

 役割にはさまざまな類型がある。役割についてイメージをふくらませてもらうために、形式別に一覧してみよう。もちろん以下に示すのは役割のごく一部にすぎず、分類も暫定的な不完全なものである。
(1)年齢役割――子ども・若者・大人・中年・老人▼11
(2)家族役割――夫・妻・長男・親・母・末っ子・一人娘▼12
(3)性役割――男・女▼13
(4)職業役割――医師・看護婦・教師・ガードマン・役人・軍人・事務員・セールスマン・営業マン・研究員▼14
(5)組織内の地位・職務――平社員・主任・課長・部長・社長・ディレクター・プロデューサー・カメラマン・タイムキーパー・スポーツの各ポジション▼15
(6)状況的役割――受験生・浪人・失業者・討論会の進行役・ゲスト・隣人・観客・遺族・新郎新婦・病人・患者・被害者・加害者・よそ者・恋人・リーダー・子分・いじめっ子・傍観者・送り手・受け手▼16
(7)逸脱的役割――犯罪者・前科者・変わりもの・変質者・精神異常者・不良少女・ツッパリ・同性愛者▼17
(8)性格類型――お人好し・頼りがいのある男・淋しがり屋・うそつき・おせっかい・スポーツマン
 それぞれに「らしさ」をもっているこれらのなかには、もともと生まれもってきたものもあれば、医師のようにこつこつと努力した末にようやく獲得できるものもある。観客のようにすぐ離脱できるものもあれば、前科者のように一度押しつけられるとなかなか離脱できないものもある。また厳密な定義をもつものもあれば、相当ルーズなものもあるし、特権をもたらすものもあれば、汚名をもたらすものもある。人間はこれら多様な役割を理解し使い分ける担い手として社会的相互作用過程のなかに登場する「多元的役割演技者」(multiple-role player)なのである▼18。

▼1 カール・レーヴィット、佐々木一義訳『人間存在の倫理』(理想社一九六七年)。レーヴィトは著名な哲学者。なお「als規定」と同様のことをすでに第五章の冒頭で説明しておいたので参照してほしい。そこではシュッツを利用した。
▼2 ハインリヒ・ポーピッツは「行動の規則性は、社会学の発明ではなく、社会による発明である」とのべている。ポーピッツ「社会学理論の構成要素としての社会的役割の概念」J・A・ジャクソン編、浦野和彦・坂田正顕・関三雄訳『役割・人間・社会』(梓出版社一九八五年)三六ページ。
▼3 ジンメルの「社会はいかにして可能か」はこの文脈で役割現象について論じたものである。ジンメル、居安正訳『社会分化論 社会学』(青木書店一九七〇年)。ポーピッツの前掲訳書も参照のこと。
▼4 ここで依拠しているシュッツによると「われわれは、他者を類型化するために、そしてまた自分自身を類型化するために用いられる、諸々の常識的な構成概念は、そのかなりの程度までが、社会的に獲得されたものであり、そして社会的に是認されたものであることを、心に留めおかねばならない」という。M・ナタンソン編、渡部光・那須壽・西原和久訳『アルフレッド・シュッツ著作集第一巻/社会的現実の問題[I]』(マルジュ社一九八三年)六八ページ。
▼5 ジンメル「社会はいかにして可能か」前掲訳書二一二ぺージ。
▼6 ジンメル、前掲訳書二一六ページ。
▼7 この点についての先駆的業績として、未完の草稿ではあるが、ジンメルの「俳優の哲学」が示唆に富む。土肥美夫・堀田輝明訳『断想』[ジンメル著作集11]。引用部分は二七三ぺージ。
▼8 P・L・バーガー、水野節夫・村山研一訳『社会学への招待』(思索社一九七九年)一四〇ページ。
▼9 ハンス・ぺーター・ドライツェルによる定義。深澤健次「演劇論的役割論の構造――E・ゴフマンとH・P・ドライツェル」『東京農業大学一般教育学術集報』第十六巻(一九八六年)五九ページによる。なお、本章で準拠しているアルフレッド・シュッツとハンス・ぺーター・ドライツェルによる役割概念についてはつぎの文献を参照。アルフレッド・シュッツ、森川眞規雄・浜日出夫訳『現象学的社会学』(紀伊國屋書店一九八〇年)第五章と第十三章。またはアルフレッド・シュッツ、中野卓監修・桜井厚訳『現象学的社会学の応用』(御茶の水書房一九八〇年)第八章「平等と社会的世界の意味構造」。ドライツェルの役割分析については、水野節夫「H・P・ドライツェルにおける役割論の展開(上・下)」『社会労働研究』二四巻一・二-四号(一九七八年)。深澤健次「役割と行為――H・P・ドライツェルの役割概念を中心に」『東京農業大学一般教育学術集報』第十三巻(一九八三年)。
▼10 社交については、ジンメルによる興味深い分析がある。阿閉吉男訳『社会学の根本問題――個人と社会』(現代教養文庫一九六六年)第三章。
▼11 老人役割については20-2参照。
▼12 家族役割については15-2参照。
▼13 性役割については15-2参照。
▼14 医師の役割については9-4および23-3参照。
▼15 組織内の役割関係は、地位や職務としてフォーマルに規定されたものだけからなるわけではない。14-1以下を参照。
▼16 観客の役割については18-2参照。病人・患者・被害者の役割については22-3および23-2参照。送り手と受け手の役割については10-1や11-3などを参照。
▼17 逸脱的役割については20-2以下参照。
▼18 E・ゴッフマン、佐藤毅・折橋徹彦訳『出会い――相互行為の社会学』(誠信書房一九八五年)一五九ページ。

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