2022年1月19日水曜日

経済学部のすべての人のための表現プラットフォームの検証実験的研究(平成30年度学部共同研究費)

平成30年度学部共同研究費による共同研究報告書

野村一夫

経済学部のすべての人のための表現プラットフォームの検証実験的研究


研究概要および研究成果

 本研究は、平成28年度から継続してきた学内研究助成プロジェクトのまとめとして学部内で使用できるマニュアルを制作するプロジェクトである。これまでメディア制作を中心とする活動は、ゼミなどの演習系授業にかぎられていた。緊密な指導と膨大なコミュニケーションがないと頓挫するからである。

 この実績の上で、本研究では学部全体への拡大共有を目指した。なぜなら本学経済学部は表現活動全般において決定的に弱いからである。とくに能動的な日本語作文ができない。学生たちは自分が書いた文章を積極的に公開したり共有したりしない。いわゆる発信力も異常に弱い。ソーシャルメディア上において大人としての言論活動をおこなっている者はごくごく少数である。

 セカンドマシンエイジと呼ばれて久しい現代において、これでいいわけがない。メガバンク採用における一般職の消滅に見られるように、機械的な作業マシンとしての事務仕事は劇的なスピードでスマートマシンに置き換わっていく。能動的な日本語表現が不得手な者たちは淘汰され、その分、知識豊富で表現の達者なコンサルティング的な仕事が増えていく。英語やデータ分析などの能力はその次である。と言うか、それらはスマートマシンに置き換え可能な段階に来ていると私は判断している。それがどこまで進んでいるかに関する知識が欠落しているから方向を読みまちがえる。

 母語による表現と思考の不断の活動が、世界に循環する多様な知識を能動的に摂取し吟味し、それを駆使して問題を定義し問題解決できるようになる。そのレッスンをどのような手順でおこなうかを考えることこそが高等教育の喫緊の課題である。

 本研究プロジェクトで実施できたのは次の項目である。

(1)作業上必要なタイムラインを確保する。ケースマにはそれがない。Workplace by Facebookを運用して2年になるが順調である。アカデミックとして登録してあるので無料である。学部全体を網羅することがすでに可能である。

(2)作業上必要な執筆場所を確保する。Stockは有料だが、アカデミックを設定してもらったので、予算化できれば拡大して使用できる。これは文書中心の業務用クラウドである。ギガ単位の大きなファイルもそのまま取り込める。学生たちは、こちらが使いよいと言う。

(3)Workplace by FacebookもStockも完全にクローズドなので、著作権のある現役の書籍も共有できる。いわゆる自炊をすれば、ゼミ程度の単位であれば共有できる。しかもビューアーも内蔵されているので、そのままの状態で閲覧できる。今回は行動経済学の文献を共有した。

(4)多様な表現スタイルで記録する。記録しないかぎり、来たるべき他者とは共有できない。記録されないその場限りの表現では、その場しのぎの態度を放置してしまいかねない。いつでも再現可能でなければならない。

 これらに対して本研究プロジェクトでできなかったことは次の項目である。

(1)他の研究助成プロジェクトとともに大幅に始動が遅れ、制作物も納期ぎりぎりになり、普及活動がまったくできなかった。

(2)試作品として3年ゼミ生34名に企画から版下制作までチーム単位で自主的に制作させたが、総じて幼児帰りを起こして低水準のものしかできなかった。これだけ経験を積ませた学生たちでも、朝な夕なの指導をしなければ、ちゃんとしたものにならない。

 評価と課題。

 志は高く持ちたいが、学内および学部内での普及は絶望的であるというのが結論である。グロスハックの発想で経済学部のために手のかかる開発研究をしてきたが、総じてこの大学でできることは少ない。今後は本学から離れて、全面的にインターネット上で展開することにした。


授業の作品化と教育のメディア ──理論的意味と実践的解決のクロスロードで



授業の作品化と教育のメディア

理論的意味と実践的解決のクロスロードで


野村 一夫

國學院大學経済学部


【要 旨】

本稿は平成28年度「特色ある教育研究」に採択された「すべてクラウドによる授業の作品化:メゾメディア活用実践研究」で得られた知見をもとに「大学教育のメディア」の要件について総論的に考察をする。その上で「授業の作品化」の意義と問題について議論する。基本的な考え方は、学生の作品は必ずしも「創作物」でなくてもいいのではないか、むしろ「編集物」でいいのではないかということである。巨人の肩の上で模倣を繰り返しながら学ぶ。その足跡をドキュメントとして記録して共有する。その場で終わるのでなく、それらを蓄積するメディアが大学には必要である。


【キーワード】

メディア制作、大学のメディア、教育のメディア、授業の作品化、クラウド


 

1.PBLとしてのメディア制作

本稿では、平成28年度「特色ある教育研究」に採択された「すべてクラウドによる授業の作品化:メゾメディア活用実践研究」プロジェクト(研究代表者・野村一夫)に基づいて「大学教育のメディア」について考察したい。このプロジェクトは数量的なデータを獲得するものではなく、特定の理論的作業仮説に基づいて実践的解決を試行したものである。本稿では、その両者の接続を主軸に総論的な議論を組み立てていきたい。高等教育において20世紀的な自明性が次々に崩れる時代、何にしても総論が必要な時代だという認識からである。

まず経緯をかんたんに振り返る。2004年から演習(以下「ゼミ」)を担当することになった。当時のゼミでは基礎的なメディア論を学ぶとともに、コンテンツ制作者の視点を獲得してもらうためにウェブサイトやブログを制作させた。しかし、それが定着することはなく卒論も低調であった。ゼミ生と相談した結果、雑誌制作がよいとのことで試作をしてみたところ成果物としてそれなりの手応えが得られた。そこで当時の「特色ある教育研究」に応募して編集環境を整備して毎年1セメスターを使ってコンセプト雑誌を作ることにした。これは10年続いた。コンセプトは毎年変わり出来映えも毎年異なるものであった。チームとしてのゼミは雑誌制作を中心にまとまり、その後は個別テーマ研究に移行してゼミ論・卒論へ向かうという基本線ができた。

ゼミは協働しての手仕事が必要である。よくある輪読形式はほとんど効果がないので放棄して、各自が拾ってきたテーマ素材(課題図書も含む)を見ながら議論する方向に寄せてきた。しかし10年もやっていると限界も見えてくる。第1にデザイン能力の限界。プロ仕様のAdobe InDesignを基本ツールに編集をしてきたが、やはりデザインの基本を勉強していないので「いかにも同人誌」になってしまう。私としては美術的なデザインではなく情報デザインに集中してほしいのだが、なかなかそうはならない。第2に基礎演習でのアクティブラーニングの採用をきっかけにして2つの決断をした。1つは扇型教授モデルの廃棄。もう1つはチーム単位での発信作業。いずれについても学びの機会を多くするために1学年のゼミ生を20人以上にしたことが背景にある。

メディア制作はメディア形式だけを決めておいて企画から完成までゼミ生で協働するPBLである。これを既存の研究(野村ゼミで「メガ読み」と呼んでいる事例研究)と統合できないかというのが今回の課題となっていた。さらにメディア論を対象としない他のゼミや授業に応用できないかということも強く意識していたポイントである。とくにアクティブラーニングを導入した経済学部1年生の基礎演習への導入を挑戦的課題とした。

今回のプロジェクトで新たに採用したメディア形式は、次のものである。

①トッパン・エディトリアル・ナビとオンデマンド印刷を組み合わせた新書本

②Facebookページを利用したラジオトーク

③LINEグループをイントラネットとして活用したワークフロー

じつはそれぞれ前史(あるいは試行的実験)があって本プロジェクトにおいて本格的に導入した。プロジェクト名に「すべてクラウドによる」と銘打ってはいるが、それぞれあえてアナログ感のあるメディア形式であることに留意されたい。とくに①は画期的なクラウドサービスで、日本語の冊子体がブラウザ上のみで編集できる。とりわけ縦書きがかんたんにできる点で貴重である。判型は文庫と新書のみであるが、もともと出版社仕様に開発されたクラウドサービスである。これだとレイアウトデザインを1からやらなくて済む。ほぼアウトラインプロセッサ並あるいはWordPress並である。主として電子書籍編集に使用されていたが、これとオンデマンド印刷をワンセットにしてもらって少部数印刷を実現した。高度なデザイン機能はないものの、テキストに集中したコンテンツを編集するのに向いている。USBメモリのようなリスキーなデバイスは編集行程においていっさい使用しないことにした。また、本プロジェクトでは1冊1冊作るたびに新しい挑戦をした。まず縦書きにするというのが編集上とても難しい。苦労があったとしたら、ほとんどが縦書きにするための編集上のノウハウに関するものであった。横書きであれば、数日で版下はできあがることも検証した。トッパンエディナビは学生でも操作できることもわかった。2016年初頭から2017年5月までに、このサービスによって制作した作品は以下の10冊である。教員名が書いていないのは、すべて野村の担当授業の受講者によるものである。著者(受講生)の名前は煩瑣なため省略する(写真1. 2)。

 写真1 写真2

①『女子経済学入門:ガーリーカルチャー研究リポート』私費による基礎演習Aの書評レポート集

②『渋谷物語』就職活動中の4年ゼミ生の自己分析からのスピンオフ

③『キャッチコピー越しの世界』3年ゼミ生のコンセプト企画

④『ベトナムの今を訪ねて』古沢広祐教授担当のフィールドワーク報告書

⑤『国学院物語計画』経済学部企画OBOGインタビューとそれを含む提案

⑥『基礎演習Aを全員で振り返ってみた』基礎演習Aの授業を新書に再現

⑦『渋谷において本はいかに扱われているか』基礎演習Bの企画リポート集

⑧『菅井益郎先生の8つの物語』3年ゼミ生によるロングインタビュー

⑨『地域おこし協力隊の課題と解決策』田原裕子教授担当のフィールドワーク報告書

⑩『すべてクラウドによる授業の作品化:メゾメディア活用実践研究最終報告書』野村が担当授業の新書のために書いた解説や中間考察などをまとめて時系列で収載したもの。

第2に「ノムラゼミラジオ計画」があるが、技術的にはほとんど苦労しなかった。機材はiPhoneアプリ、公開はFacebookページで済んでしまったからである。問題はどのようなコンテンツに学生を巻き込んでいくか、それが学生にとってどのようなトレーニングになるかということである。学生の発信意欲はきわめて低く、自発的に何かを発信するということはない。それゆえ、それを引き出すメディア仕掛けが必要である。

第3のLINEによる進行はきわめてスムーズであった。過去3年間、ゼミとクラスの学生との連絡はLINEに集約させてきたが、学生のアクセシビリティが高い。クラスであれば入学式直後から連絡体制が組めて、きめ細かく指導ができる。「授業の作品化」もLINEの連絡体制が日常的に作動していたから可能であったとも言える。LINEグループのタイムラインの一部は上記新書シリーズの中でも引用している。

クラウド技術を使用するとは言え、内容は言語表現そのものである。それを記録して一定の範囲において非同期で共有することがポイントである。つまり教室でのアクティブラーニング体験だけで終わらせず「授業の作品化」までを目標に設定することに意義がある。文章表現まで一気に持っていくのである。これは大学においてどういう位置価をもつのか。次章では、その意味について大学全体のメディア・プラットフォームの問題から考えてみたい。


2.大学における5つのメディア

 今回のプロジェクトは、高等教育における「教育のメディア」について実地に検証をおこなうものであり、私が強い関心を持つのは「教育のメディア」だけである。ところが、じっさいには「教育のメディア」は教室の整備をして終わりというものではない。

そもそも大学は知識と情報のプラットフォームである。このことは、しばしば勘違いされているように大学が「発信者になる」ことではない。大学が「中継ぎに徹する」という意味で「プラットフォーム」より正確には「メディア・プラットフォーム」なのである。これをどのように整備していくかという問題がある。というのは、どこの大学でもこの点では混濁した認識が見られるからである。本章では、あえて大局的な見地から考えてみたい。

総じて、大学のメディア・プラットフォームはどうあるべきか。本稿では、これを理念によって5つに分割すべきであると考える。

①広報のメディア

②研究のメディア

③教育のメディア

④入試のメディア

⑤事務のメディア

これらを分割して考える理由を明確にしておこう。

広報のメディアは、大学のプレゼンスを広く知ってもらうためのものである。しかし、日常的にはグッド・ニューズ・オンリー・システムになる。大学にとって都合の悪いことは出せない。この場合「大学にとって」ということが大きな論点になる。つまり、その場合の「大学」とは何を指しているのか。それが特定の部署の都合のいいように御旗として使用されることの多さに私自身は辟易している。たとえば「大学にとって不名誉」という判断は、そうかんたんになされるべきではない。たとえば学生の不祥事が「大学にとって不名誉」かどうかは、全学の学生部委員会の慎重な議論によって定義されるのである。ところが広報のメディアに関しては、広報課とその周辺で「バッド・ニュース」として先行して判断されてしまう。広報はそういう原理で動くものである。とくに古い体質の広報はそうなのである。最近の企業広報は「バッド・ニュース」も伝える工夫をするようになっているが、ネットの対応のように、そう単純ではない。

研究のメディアは、研究内容と成果物を広く公開するものである。理念的に言えば、リポジトリのようにオンラインで世界中からアクセス可能でなければならない。完全な公開性をめざすなら多言語対応である必要がある。Googleなどの翻訳サービスは約100カ国語に対応しているが、これを活用すれば、ほんとうの世界への発信になる。それによって外国の研究者との交流も始まる。日本語だけでは不十分である。せめて論文のスタイルを世界標準に揃えておくことが前提であろう。私が編集長をしていた『國學院経済学』では『シカゴ・スタイル』に準拠するように変更したばかりである。スタイルが世界標準であれば、機械翻訳であっても、ある程度のことは伝わる。

教育のメディアについては、これまで十分に議論されてきたとは言えない。教育学系のメディア実践の論文はたくさん生産されているが、高等教育レベルのものでヒントになるものはほとんどない。たいていそれは教室内でのコミュニケーションにとどまって、しかも、あとに何も残らないからである。なぜなにも残らないかには理由がある。

教育のメディアの特徴は「教育現場を安全に公開すること」と「学生の成果物を安全に公開すること」の2つである。なぜ公開が必要なのかというと、関係者における成果物の共有が必要だからである。たとえば学生が提出したレポートを読むのは担当教員だけである。学生の友だちが何を書いたかも共有されない。情報共有のスタイルとしては、教員を中心とする扇型になる。全体を掌握しているのは教員のみとなる。これだと学生間でレポートについて語り合うチャンスはほとんどない。だから口頭発表が必須である。しかし、次の年にはつながらないから、また1からやり直しになる。それでは授業としての成長がない。じっさいに「これしとけば、いいんじゃない」みたいな先輩の言葉を鵜呑みにして縮小再生産になることが多い。研究と同様、年々、学生たちの成果物がレベルアップしていかないと高等教育とは言えない。先輩たちを乗り越えていく仕掛けが必要だ。そのためには継承することが必要なのである。

入試のメディアは、厳格に運用されなければならない。入試情報とウェブ出願のメディアとして別個に運用されるべきである。センター試験が終了することが決まって、これからAO入試が多角的に分岐していく。そのさいに情報端末でデータベースを活用して小論文を書くといったものも出てくるはずである。そのときに使うセキュアなシステムが必要である。つまり入試のメディアの仕事は「入試広報」だけでなくなるのである。すでにウェブ出願は当たり前のことになっている。次は入試そのものに使用できるメディアが必要になる。その準備はできているだろうか。

事務のメディアは、基本的に厳格に管理されている。問題なのは、情報共有の仕方である。エクセルやワードで文書作成して、それをメールに添付して共有するというやり方は安全ではない。ファイルをアップロードしたりダウンロードしたりする方法はレガシーなものである。転送に転送をされた場合、ファイルの行方がわからなくなる。だれがそのファイルを共有しているのか、改訂したのか、最終ヴァージョンはどれなのか、といったことが誰にもわからない。これは「情報のガバナンスができていない」ということである。職員のシステムは教員の心配することではないと考えられているが、じっさいには教員も膨大な事務作業をおこなっている。教務・入試・自己点検などはセキュアな情報システムが必要になるはずだが、基本的に使えるのは授業用のシステムだけである。

以上の5つのメディアの管理権限は、それぞれのトップが持つべきである。トップが直接管理できないときは、トップ直属のオペレーターが指示通りにおこなえばよい。大学のメディアは5つの理念と活動によってそれぞれ独立かつ自律的に運用されるべきである。混在させたシステムは邪悪になりがちである。なぜ邪悪になるかというと、情報システムとメディアの管理者が、ユーザーと内容に関するヘゲモニーを持つからである。管理者権限は、ふつう人が漠然と想像しているものよりも、はるかに強力である。それはほぼビッグブラザー並である。職位は高くなくても事実上の最高権力をこっそりと行使できる。しかし、それにもかかわらず5つのメディア領域の原理とルールはまるで異なるのである。教育のメディアを広報のメディアの原理で運用されたら、万事ことなかれになるにちがいない。何もできないように設定にするのが無難ということになる。それでは教育のメディアとして機能しない。

現状の管理態勢から5メディア態勢に移行する最もかんたんな方法は「すべてクラウド」にすることである。クラウドでは、暗号化と2段階認証は必須であり、しかも活動のすべてが記録される。日常的な管理は劇的にかんたんになり、コンテンツに集中できるし、サポートする余裕ができる。システムのアップデートはクラウド側でおこなわれるので、こちらは必要ない。ヴァージョン管理も容易である。端末は高性能パソコンである必要はなく、数万円のハードディスクなしのパソコンで可能である。安いパソコンであれば、2年周期ぐらいでリプレイスでき、リスキーな古いパソコンとOSの排除がかんたんになる。クラウドはマルチプラットフォームだから、スマートフォンでも作業ができる。

組織のガバナンスとしては、メディア・プラットフォーム担当理事を置くべきであろう。情報メディアの管理を課レベルに任せるべきではない。みずほ銀行の大規模なシステムトラブルでは、現場のことが上層部に伝わらず見切り発車をしてしまったことが構造的な要因であった。対策としてなされたのは情報システム担当取締役を設置することだった。たんに実務に長けた人ではなく、情報メディアに関する技術・法務・理論・政治に見識のある人とチームを組んで効果的に制御できる態勢を整えることが重要である。

あと重要なのは、5つのメディアごとに編集長をおくことである。内部限定公開であれ一般公開であれ、公開されるコンテンツについて編集長を置くのは常識である。印刷だけでなく、あらゆるメディア・コンテンツには編集者と編集長の役割が必須である。そうでないと、管理権限を担っている部署の専横か、あるいは無政府状態になる。メディア・コンテンツには、見識のあるコントールが必要であることを強調しておきたい。

以上概観したように、大学における情報のガバナンスは明確に切り分ける必要がある。そして、これらの影響を受けて最も萎縮しているが「教育のメディア」なのである。


3.教育のメディアの要件

 教育のメディアとして確保しなければならない要件は安全性である。では、安全とは何か。メディアは何がいいのか。どのように運用するか。教員の資質をどのようにアップデートするか。小さなプロジェクトであったが、確認できたいくつかの論点を列挙しておきたい。

①学生のコンテンツをむやみに公開することはリスキーである。学生は「学びのプロセスにある人」であるから、すでにあるコンテンツに学ぶのは当然のことである。それを授業においてレポートにして提出されたものには、公開にふさわしくないものがある。引用や出典が明確にさせれば解決するから、そう指導するにしても、個人情報を含めて全面公開というわけにはいかない。したがって、一般公開用のブログやサイトでは難しい。

②印刷媒体は有効である。手触りのある本にすると、書類とともに破棄されることなく本棚に残る。授業の経験そのものに価値があるのと同時に、授業の作品化とくに印刷媒体にすることの価値は大きい。ただしワードで作成したA4の簡易製本は残らないし、手に取られない。手渡したその場でのみ見られることで、かろうじて安全であるにすぎない。品質がとても重要である。

③ソリューションとして本プロジェクトで実地検証したのが、クラウドによる編集システムとオンデマンド印刷の組み合わせであった。「トッパン・エディトリアル・ナビ」はクラウド上でページものを編集できる国内ではほとんど唯一のシステムである。縦書きとなると、ここの独擅場ではないかと思う。もともと出版社向けのクラウドサービスであったものの、電子書籍用に使用されることがほとんどで、私たちの『女子経済学入門』が最初の印刷本だったとのことである。現時点では判型が文庫と新書に限定されているのは、そういうものを大量に出す出版社を想定して作られているからである。これをオンデマンド印刷と組み合わせてみたのが本プロジェクトの創案である。

④予算の問題については、あれこれ工夫した。トッパンとしてはエディナビについて大学と契約するのは初めてで、最初は従来の出版社用の見積もりであった。しかし、大学はベストセラーを狙っているわけではないので、それだと割高になってしまう。全学的対応であれば、それでもかなり安く済むが、一研究プロジェクトとしては荷が重い。そこでページ単価で契約することを提案し、研究開発機構もトッパンも合意してもらえた。本プロジェクトは全部で12万ページとして契約した。これだと予定通りに行かなくても、他の本の部数を増やして調整すればいい。授業は「なまもの」なので、予定通りに行くとは限らないから。

⑤コンテンツの配付範囲をコントロールしながら関係者のあいだにコンテンツ共有する仕組みを本プロジェクトでは「メゾメディア」と名づけた。メゾメディアの有力候補がトッパン・エディトリアル・ナビによる編集とオンデマンド印刷の組み合わせであった。では、それだけでいいのか。ネットでメゾメディアはできないのか。と考えて、計画にはなかったネット活用を始めた。それがネットラジオである。これは「渋谷のラジオ」にゼミ生がレギュラー出演していて話を聴いて気づいた。ラジオだと顔が見えない。それだと身内以外にも公開できる。ファイルの流出を防げるサービスを探したところ、Facebookページが最適だと判断して「ノムラゼミラジオ計画」を制作した(https://www.facebook.com/shibuyaeast/)。

本プロジェクトで「授業の作品化」というのは、換言すれば「教育のメディア」に載せるということである。学生の作品を安全に見える化するメリットはさしあたり以下の点にある。

①当該授業受講者が相互に作品を読んで話し合える。

②翌年以降の当該授業受講者の到達目標になる。

③当該授業を受講していない友人・先輩・後輩が参照できる。

④就職活動やインターンシップなど対企業活動で「勉強の成果」として提示できる。

⑤家族が大学での学びについて知るきっかけになる。

⑥総じて大学の学びを蓄積できる。

授業体験とともに作品を残していくという二重の作業を学生がおこなうことは、現代の職業生活のありようにマッチしてことである。タスクを遂行しながら記録を欠かさない。これが習慣として定着することができれば立派なスキルである。


4. 学生が書くということ、その著者は誰か

 「教育のメディア」について本プロジェクトで試行した基本的な考え方のひとつは、学生の作品は必ずしも「創作物」でなくてもいいのではないか、むしろ「編集物」でいいのではないかということである。この点については誤解が生じやすい。というか、事なかれ主義が蔓延していて結局何もしないことになりがちである。

この点については複数の条件がつく。

①信頼できる情報源に到達しているか。

②それなりの分量の情報・知識を収集しているか。

③自分なりの基準をもってセレクトしているか。

④素材から的確な論点を引き出せているか。

⑤チームでの議論に耐えうるかを検証しているか。

⑥自分なりの工夫をして表現しているか。

原稿としては、この6点を満たすのが理想である。企画編集執筆の各段階で何度も確認してきたことだが、本ができたのちに全ページを読んだ上でゼミとして振り返りができればいいと思う。つまり、授業の「成果」であるとともに「プロセス」を表示するドキュメントとして扱えば良いのである。

学部授業において「研究成果」は「編集物」でよいという論点について、背景となる考え方を補足しておこう。

一般に人文社会系の勉強をまとめるさいには次の点が充足していなければならない。

①先行研究をフォローすること。

②オリジナルな論点があること。

③妥当な手続きを取っていること。

④形式的要件を満たすスタイルで表現されていること。

もし学生の作品が一般公開されるとなると、この4点を満たす必要がある。しかし、そうでない場合は①を満たすことが重要である。これを無視できるのは天才かカリスマだけであろう。②さえあれば、他の条件は支持者や追随者によって整備されるからである。こういう人は、それほど世の中にいるものではない。そう、学生にも教員にも。そもそも、天才にしてもカリスマにしても日本の大学制度にはなじまないであろう。

経済やその隣接領域について、学生はほとんど白紙状態で大学に来る。高校の「政治経済」の教科書のうち経済を扱っているのは、わずか百ページである。しかも受験は経済の授業より早く来る。だから経済学部生であっても「政治経済」で受験した経験のあるものはごく少数である。

この領域は年ごとに大きく変化する。たとえば1年生の基礎演習Aでこの春に検索の実習として扱ったテーマは「パナマ文書」である。これは春までだれも知らなかった情報である。その背景には「タックスヘイブン」「オフショア経済」などがある。グローバル経済が直面する「闇の経済、裏の経済」について「パナマ文書」から系統的に説明できる人はまだまだ少ないはずだ。しかし、かれらが就職したとたんに、この種の問題は無関係ではなくなるのである。だからこそ、ニュースの背景にある事柄についての先行研究を読む必要があり、何を重点的にセレクトするかなど、それはそれで重労働なのである。学生は先行研究にキャッチアップできれば十分だと思う。とくに新しいテーマだとアカデミズム的には「また色物」「たんなる趣味」「おたく」「まがいもの」といった視線を浴びるのが常である。私に言わせれば「ラブライブ!」も「パナマ文書」も「欅坂」も「ドラグネット」も問題として同値である。新しいから扱いが難しいのは当然である。学生の側も指導する側もともに猛勉強しないと、たんなる趣味に堕してしまう。とくに指導する教員が「手ぶら」ではいけない。方法論と理論がないと指導はムリである。

新しいどんな現象であっても、まったく新しい現象とは言えない。たいてい新しい表層の下に古い構造や文化を前提にしているものである。最新のSF映画であっても、物語構造としては神話と同型であったりする。「スターウォーズ」とキャンベルの神話学の関係は、それを逆手に取ったものである。学生が興味を持った新しい文化現象には、こうした表層の新しさと深層の古さがある。そこを見分けると、その現象単体では見えない膨大な文化的文脈が見えてくる。そこに注目すれば、そのテーマは豊作である。

私は「パチンコ玉理論」と呼んでいるが「シャボン玉理論」と呼び変えてもいい。パチンコ玉もシャボン玉もその周りのすべての風景を表面に映し出している。だから小さなパチンコ玉であってもシャボン玉であっても、その表層を慎重に見ていけば、それが拠って立つ背景世界を描くことになるのである。もちろん球面という形式にデフォルトされているのだから、そこは補正して見ていけばいい。テーマは狭くても、それを通して世界を俯瞰できるのである。この方法論はどこにでも「転用」できる。学生としてオリジナリティやイノベーションを獲得する最短の道は、このような「転用」である。転用をひとつの評価ポイントにすれば、空疎なオリジナリティ信仰に対しても距離を取る必要があるだろう。


5. 授業の作品化とは何か、あるいは巨人の肩の上で

 以上のような作品に対して、どのような評価をするか。今問われているのは学生ではなく教員サイドの評価基準であろう。

本プロジェクトで私が周囲の抵抗を感じたのは2点である。第1に「学生が書いたものを本にして何がいいの?」というもの。第2に「学生はコピペする」という疑いの眼。前章で述べたように、学生も教員も「巨人の肩の上で」書くのであって、先行研究を参照するのは当然のことである。文化も社会も「模倣」からすべて始まるのであり、模倣されるからこそオリジナルは価値があるのである。この点については、ラウスティアラ&C・スプリグマン(2012=2015)が雄弁に論じている。

学生がグーグルで検索した最初の1ページに出てくるサイトからコピペしてくるのは、与えた課題がおざなりで適切でないからである。この点については近年、研究が進みつつある。たとえば成瀬 (2016) などは注目すべきだと考えるが、本プロジェクトにあたっては、課題を出されて途方に暮れる学生の立場から考える方が近道と判断して、本プロジェクトを進めながら、私は小論文の参考書をありったけ読んで自分なりの工夫を考えた。

①課題を疑問文にして、その意図を明確にすること。

②評価ポイントを明確にしておくこと。

③アプローチの仕方を指定しておくこと。

④それに即してアウトラインを提示しておくこと。

⑤文体についてテンプレートを提示すること。

⑥「私」を主語にして書くことを推奨する。

⑦ありうる邪悪なアプローチを事前に提示して警告すること。

⑧個人的な問い合わせの回路を開いておくこと。現時点ではLINEだと学生は手軽に質問できる。

⑨チェックシートをいったん提出させてから執筆に入るように2段階にすること。

⑩参照すべき書籍・サイト・データベースをあらかじめ指定しておく。

⑪課題を統一しないで、ヴァリエーションを作って学生に選択させ、1人ひとりが個別の課題と向き合うようにする。

一見自明な項目に見えるが、全部をセットにして実行する教員は稀だと思う。⑥とか⑧などは論争的でさえある(してもよい)。あとの項目も手間ひまを要するので敬遠しがちである。しかし、全部をセットすることで学生は一発で完成稿を提出できる。その方が作品化しやすいのである。いちいち教員が原稿に手を入れたら、学生にとって責任を持って書いた「自分の作品」にはならない。通常とは順序を逆転させるのである。

『女子経済学入門』の場合、1年生の基礎演習Bの期末レポートとしてガーリーカルチャーに関する本40冊の中から1人1冊選んでもらって書評を書くことにした。基本的には「紹介文を書きなさい」と指示した。12月18日の年末最後の授業でそれをして1月10日締切にした。その間授業はないのでLINEで相談を受け付けることにした。全員が異なる課題になるので相談は個別指導になる。年末の相談で見本の必要性を感じ、正月に長めの「ガーリー総論」を書いて共有し、その上で個別に指導をした。その結果、クラス全員が締切に間に合い、すぐにエディナビで編集して年明け1回目の授業で校正をしてもらい、その翌週に本を配付した。

『キャッチコピー越しの世界』の場合、ゼミ3年前期のPBLということで企画から発刊まで3ヶ月で実施した。アクティブラーニング形式でチーム単位で進め、ゼミ生25人全員が書いた。

『渋谷において本はいかに扱われているか』の場合は、1年生後期の基礎演習Bの「オクトーバー・プロジェクト」と称して4回分で実地見学のレポートを執筆させた。課題は次のようなものである。

「気がつけば渋谷の本屋さんは多彩です。こだわりもいろいろ。おそらくこれからの本と書店のあり方の未来形は広域渋谷圏にあります。「本はコンテンツ・メディア」「書店は文化メディア」として見てみると、今後さまざまな分野で展開するメディアのスタイルが見えてきます。この授業では「情報デザイン」という観点から、渋谷の書店のメディア・スタイルを考えてみたいと思います。」

このときのテーマは「街の中に情報デザインを読み取る」ことを意図している。まず授業中に渋谷近辺で本のあるところを探してLINEに集約させた。この60前後の対象を全員に振り分けた。1個所あたり2人まではよしとした。最初に「ヒントとアプローチの仕方」に基づいたチェックリストを提出させた。それは以下のようなものである。

①ミクロレベル

 商品

 パッケージ

 ポップ

 ジャンル

 文脈棚

 店内の配置構造

②メゾレベル

 店内の順路・ナビゲーション

 迷路化

 空間メディアとしての演出(BGM、吹き抜け)

 居心地

③マクロレベル

 立地条件

それをチェックしたのちに文体のテンプレートを書いて共有した。それはこういうものである。即興でLINEに書いたので代入個所を顔文字にしていたので一括して□に変換してある。

「まとめの仕方についてヒントを書きます。私を主語にして書く。基礎演習Bで□をやることになった。私は□をやってみようと思った。というのは□だからだ。ほんとは□もやりたかったが、□なのでこっちにした。

まずはともあれ行ってみようと思って、□に行ってみた。ここは□な場所にあって、周りは□だった。すぐそばには□があって□な感じだった。ここでマクロ目線。

迷いつつもなんとかたどり着いた。入口は□な感じで地味ガラス張りオシャレ一見さんお断り、な印象だ。

入ってみると、天井が□で陰気な音楽がかかっていた。ここからメゾレベルの話。店員さん、香り、本棚の配置、□

このショップらしいのが□で、その周りには□が置かれている。そこを中心に本棚を眺めていると、□とか□とか□とかの本があり、どうやら□当たりをクローズアップしているようだ。これはナイス。ぐるっと回ってみたら、□がたくさん積んである。これって□のこと? ミクロ視点のあれこれ。

というわけで、このショップにおいて本はこのように置かれているのだ。ポイントを並べてみよう。

中でも注目すべきだと思ったのは□である。これは他にはないと思う。店主のセンス好みこだわり□が明確に表現されている。

みたいな感じ。」

要するに手順を書いてある。このあと文体はどうにでもなる。いったん書き上げることが重要である。最初から文体に拘泥するのはやめたほうがいい。書店だけではなくブックカフェや展示施設も入っているので、提出されたレポートは多彩である。足を運び、自分事として書いて、人に読んでもらえるのがポイントである。ジェネラルスキルもここから始まる。

『菅井益郎教授の8つの物語』の場合、ゼミ3年生で特別チームを作り、8時間のロングインタビューをしたもの。事前に菅井教授と打ち合わせをして「8つの物語」として整理しておいて臨んだ。それをテキストに起こして、教授にチェックを入れてもらい、本にした。学生によると、この一連の作業はたいへん勉強になったようだ。私は「賢人シリーズ」と呼んでいるが、多様な展開が可能である。

ここで論点をまとめておこう。

①エーコが言うように「作品」とは開かれたものでなければならない。公開されること。

②成果ではなくプロセス。論文ではなくドキュメント。メイキング映像にあたる。

③評価には動態的な理解が必要である。

この3点に関しては4年ゼミの書いた『渋谷物語』の解説に記しておいた。小見出しになっている「原宿ナウマン象」とは、渋谷キャンパスの1つおいた隣にある白根記念渋谷区郷土博物館・文学館に発掘された骨が展示されている。代々木公園から原宿あたりにはナウマン象が生息していたのである。


原宿ナウマン象のように

「ここにいた」ことを記録する。それをアナログで残す。残像を形にする。教育のプロセスにおいてなされるものごとはすべて未熟であるに決まっている。だから、足跡も痕跡も残さないようにする方が安全だという考えはまちがっている。生きて学んで感じたことをそのつど形にしていくことで、それは共有され、あとから来る人たちに踏み石として活用されれば、十分意味がある。自分たちの足跡も形になれば、それを読んで「ああ、こんな時期もあったね」と感じることで吹っ切って、自然に次のステップに進めるものである。国学院大学におけるそうした痕跡の集積が「渋谷物語」という群像劇を形成していくことになるのではないか。百年続くといいね。本書はその第一歩である。原宿ナウマン象の新しい第一歩である。


私は本プロジェクトに並行して、これを推薦系特選系入試に導入した。大学や学部にとって最大のメッセージは入試問題である。推薦系特選系の場合、従来は面接中心であったが、面接こそテンプレ依存になっていて、しかも面接者しか評価できず、あとで確認ができない。だから小論文に転換しようと提案したさいに、この方式を取り入れた。詳しくは、國學院大學経済学部入試委員会編「平成30年度入試 國學院大學経済学部 課題レポート テーマと解説」という小冊子を参照してほしい。

なお、評価方法の問題については紙幅の関係で別稿を期したい。かんたんに論点を示しておく。

巨人の肩の上で書かれたものをどう評価すべきか。とくにアクティブラーニングを導入すると評価がやっかいである。ルーブリックなどさまざまな工夫がされているが、これまで述べてきたような「授業の作品化」に徹すると、比較的容易になる。ただし、ここで改めて「作品」にどのようなものがありうるかを考えなくてはならない。

サスキー(2009=2015: 160)には「エッセイ、学期末レポート、リサーチレポートを超えたアサインメントの例」として42の形式が列挙されている。これらの中にはパンフレットや物語やビデオまたは音声録音が含まれている。多様な「授業の作品化」スタイルがあるということである。

そのさい評価する側が心得ておかなければならないことは質的研究に関するものである。フリック(2007=2011)が雄弁に論じているように、質的研究の評価はとても難しいし、なにより多様である。そのためいわゆるサイエンスウォーズのようなことが生じるし、論文審査においても物議を醸し出すことになる。このあたりは学生のレポートから博士論文や査読審査に一貫して見られる問題である。

学生の場合には「作品」として位置づけること、その作品は完成品ではなく学びのドキュメントであるということ、それゆえ作品のシークエンス自体をタイムラインで評価することが重要である。


6. 教育のメディアと大学の未来

 授業のありようも根本的な転換と変換が必要になっている。授業の管理強化だけが質保証ではない。私自身が自覚的におこなおうとしているものだけでも、以下のような転換があり、これらについて集中的に議論すべき段階に来ている。

①相互作用のプロセスとして教育を考える(認知科学的変換)

②講義から学習へ(視点の変換)

③オーケストラ型からコンボ型へ(規模の変換)

④パッケージからライブへ(様式の変換)

⑤シナリオ上演から即興演奏へ(計画性の変換)

⑥聴衆から表現者へ(学生像の変換)

こうした潮流にあって、それらを系統的におこなうには「教育のメディア」を自覚的に整備することが重要である。タブレットを与えればオーライといった安直なメディア仕掛けが横行する現代、理論と実践のクロスロードがどこにあるのかを見定める必要がある。おそらく、それは「大学が社会を変える新しいルートの探索」につながるはずである。


参考文献

Flick, Uwe(2009=2011)An Introduction to Qualitative Research, Sage. (ウヴェ・フリック『新版 質的研究入門:〈人間の科学〉のための方法論』小田博志監訳, 春秋社).

成瀬尚志(2016)『学生を思考にいざなうレポート課題』ひつじ書房.  

Raustiala, Kal & Christopher Springman(2012=2015)The Knockoff Economy: How Imitation Sparks Innovation, Oxford University Press. (K・ラウスティアラ&C・スプリグマン『パクリ経済:コピーはイノベーションを刺激する』みすず書房).

Suskie, Linda(2009=2015)Assessing Student Learning: a common sense guide, 2nd ed., Johon Wiley & Sons. (リンダ・サスキー『学生の学びを測る:アセスメント・ガイドブック』玉川大学出版部).

 

At the Crossroad of the Educational and Teaching Works of Media: 

A theoretical meaning and practical solutions

授業の作品化と教育のメディア

理論的意味と実践的解決のクロスロードで

Nomura Kazuo

Kokugakuin University Faculty of Economics

Abstract

Book paper was adopted to "special education 2016, all pieces of the cloud by: study of utilizing the meso media" in findings based on "media education" requirements to study in General. On top of that to discuss the significance of the work of the lessons and issues. In that it is not a basic idea is student's work is not necessarily "creations" may not be of a rather nice in the "edit product". Learn through imitation on the shoulders of giants. To share the records document as its footprint. Media instead of ending on the spot, they accumulate in the University should be.


Keywords: Works of media production, College media, educational media, works of class, cloud


本稿は平成28年度「特色ある教育研究」に採択された「すべてクラウドによる授業の作品化:メゾメディア活用実践研究」で得られた知見をもとに「大学教育のメディア」の要件について総論的に考察をする。その上で「授業の作品化」の意義と問題について議論する。基本的な考え方は、学生の作品は必ずしも「創作物」でなくてもいいのではないか、むしろ「編集物」でいいのではないかということである。巨人の肩の上で模倣を繰り返しながら学ぶ。その足跡をドキュメントとして記録して共有する。その場で終わるのでなく、それらを蓄積するメディアが大学には必要である。

キーワード:メディア制作、大学のメディア、教育のメディア、授業の作品化、クラウド


ノマドサークル共同利用コモンズ

共同利用コモンズ

部室のないサークルや新しいサークルが利用できるエリアを設定して新しいキャンパスカルチャーを育成する。

古いサークルの既得権益を崩そうとしてもラチがあかない。

百周年記念館の2階と3階を活用する。

大部屋方式 参考になるイトーキのオフィス設計

フリーアドレスオフィス https://www.itoki.jp/solution/f_address/


学生部による管理

登録は毎年更新制

学生生活課がノマドサークルに年間利用権を付与するものとする。

学生証をピッして入室できるようにする。機械式で、かまわない。登録学生だけ入れるようにする。登録学生数以上は入れないものとする。

荷物は毎日必ずコインロッカーにしまうことにする。コインロッカーの扉は透明にする。

テーブルはカンタンに移動できるようにする。


場所取り防止策

大部屋方式なので、特定のサークルが決まった場所を占拠しないように、無断の全員ミーティングは禁止する。

ミーティングをするときは事前に登録してアドホックにテーブルを移動してスペースを形成する。そのときは入口で告知する。予定表があるとグー。


ファンクラブスタイルによる資金調達支援

大学公認のクラウドファンディングによる資金獲得 https://readyfor.jp/college

クラウドファンディングを通じた一種のファンクラブの構築、卒業生との関係形成


インテリジェントな発信支援

サークルの連絡サービスと公開手段を提供する。必要なのはブラウザだけ。デバイス依存ほぼなし。

自動動画作成システム https://richka.co/

パンフレット作成システム https://www.toppan.co.jp/solution/service/edinavi.html

発信型サークルの育成 ノマドサークル用ウェブサイト

モニターあるいはテレビでプレゼンできるデバイス、スマートフォンを使う。パソコンは置かない。HDMIケーブルはデフォルト。アンテナはつながない。

2022年1月18日火曜日

すべてクラウドによる授業の作品化(メゾメディア活用実践研究)

 本書は平成二八年度「特色ある教育研究」に採用されたプロジェクトのスタートアップ作品である。そこで、このプロジェクトについて述べておきたい。以下は申請書類から。

すべてクラウドによる授業の作品化(メゾメディア活用実践研究)

申請者 野村一夫(経済学部/教授)

実施学部・学科名 経済学部全学科

共同研究者 細井長(経済学部/教授)・宮下雄治(経済学部/准教授)・山本健太(経済学部/准教授)

事業の概要(計画期間全体)

○目的

 経済学部教育における「授業の作品化」。美大音大では自明のプログラムであるが経済学部教育ではほとんど意識されてこなかった。しかし学生にとって有意義な授業を考えたとき、知識のデザイン・体験の質・トレーニングの仕方・出会いの工夫に加えるべきプログラムではないか。第1に授業を「見える化」すること。第2に学生が学修成果を手触りのある作品として獲得すること。第3にその教育効果を測定することである。ここを「メゾメディア」の駆使によって抜本的に改善し、先進的な高等教育プラットフォームを構築する。メゾメディアとは配布配信先を限定したメディア技術のこと。印刷物・SNS・チラシ・ML・グループウェアなど。

○内容

 授業で生まれるコンテンツは完成品ではないので配布・配信の領域設定が決定的に重要である。かと言って参加者にしか共有しないのではオープンな実績(これが作品)にならない。授業参加者以外の人たちとも共有することがポイントである。他の同級生・教員・後輩・訪問企業などと適切に共有できるかが問題である。本研究では「メゾメディア」という新概念を高等教育に適用して「適切な範囲内での授業の作品化」を進める。さらに今回は「すべてクラウド」で作品を制作する。第1にクラウド編集システムを利用して新書形式でオンデマンド出版する。これが前例なしの技術的最先端。第2にその教育効果をアンケートによって測定する。第3に授業のドキュメントを制作して共有する。さらに教育現場における知的財産権問題の最適解を探る。

○計画

 まず「授業の作品化」に参加する授業を確定する。現時点では「基礎演習A・B」「経営学特論(ビジネスデザイン)」「経営学特論(リーダーシップ)」「野村ゼミ」などが参加予定。合計9冊の新書を制作する。4月にメゾメディアのプラットフォームを構築し、クラウド出版システムの導入、学生による編集チーム・取材チーム・アンケートチームの編成を行う。先行チームから新書制作、ゼミ説明会に合わせてドキュメント制作、後期に後続チームの新書制作、期末にアンケートを行い教育効果を測定する。最後に報告書を新書としてオンデマンド出版して、学内外に日本初の高等教育プラットフォームのフラッグシップを掲げる。

〇期待される成果等

1 外部からはわかりにくい経済学部教育の具体的内容を可視化して共有できる。

2 学生個人のわかりやすい成果物として活用できる(企業との接触場面など)。

3 作品として残るので、将来の学生たちの具体的な(手触りのある)学修目標になる。

4 「基礎演習B」のプレゼン大会の内容など、アクティブ・ラーニングと融合させることで「教育のアクティブ化と作品化」をアピールできる。

5 「授業の作品化」が、いかなる教育効果を持つのかを検証して、全学に提案できる。

■教授会で配布した募集チラシ

 以下は教授会で配付したチラシの本文である。

特色ある教育研究「すべてクラウドによる授業の作品化:メゾメディア活用実践研究」

参加チーム募集

目的 授業を見える化する。学修成果を手触りのある作品にする。

内容 クラウド編集システムを利用した新書制作。モノクロ写真可能。縦書き。

効果 学生に作品をもたせる。提出リポートの共有。後輩の目標になる。

研究課題

 教育内コンテンツの配布範囲をどのようにコントロールするか。教育効果の測定。

参加予定チーム(刊行予定順)

 野村ゼミ3(4月刊行)野村ゼミ2(6月刊行)ビジネスデザイン、リーダーシップ、情報メディア問題入門(8月刊行)野村担当クラス基礎演習(1月刊行)基礎演習Bのプレゼン大会の「クラス代表にプレゼン」の読み原稿、研究報告書(3月刊行)。

★募集内容

 演習系・フィールド系などの参加チームを募集します。

 担当教員の責任編集を条件とします。学生の原稿を編集して完全原稿にしてください。

 著者名は「授業名+参加学生」を基本とします。

 版下製作・オンデマンド印刷は野村がトッパンのシステムを利用して行います。

 校正は1回とします。基本的に内容修正はなしで。縦書きに伴う微調整のみ。

 冊数は50部前後。授業によって調整します。

 ご希望の先生は野村R707FF@kokugakuin.ac.jp宛てに16日正午までにお知らせ下さい。担当教員・授業名・学生数・タイトル・全員か選抜か・想定部数・趣旨をざっとでけっこうです。1月に配布した野村編『女子経済学入門』を参照して下さい。

■基礎演習で制作した『女子経済学入門』

 私はここ十年ほど一年生の基礎演習も担当してきた。この授業が一番悩ましいのは、おそらくどの先生も同じだと思う。けれども私自身はかつて『社会学の作法・初級編』という本を一九九五年に出版していて、導入教育にはある程度の考えはもっていた。ただし、それをそのまま現在の国学院大学経済学部に当てはめるわけにはいかず、それなりの模索過程があった。学部教務委員会や自己点検・評価委員会で議論してきたこともあって、二〇一二年の学部共同研究として基礎演習のあり方の再検討をした。アクティブ・ラーニングをはじめとして協同研究やケース研究のやり方を勉強した、その成果が『ゼミ入門──大学生の知的生活第一歩』(文化書房博文社、二〇一四年)である。いろいろ彷徨していた私の結論は最後に原点に還ってしまい「本を読めるようにする」ということであった。そして書け。ここが分かれ目だと考えたのである。

 経済学部自体は基礎演習の全面的なアクティブ・ラーニング化に踏みきり、私も慣れないながらもプログラムに沿ってやっている。昨年度は、先行チームとは別に私なりの試みをして今年に備えた。詳しいことは『女子経済学入門』に書いた。ポイントは「体験」と「作品」。アクティブ・ラーニングの先行チームは、ものすごい馬力でスタイルを確立していった。ビジネス・コンテストは、シャイで内気であか抜けない本学経済学部学生のイメージを一新するかのようであった。これが必要だということは実証されたと感じた。要するに必要だったのは、授業の「体験」だったのだ。そこに異論はない。

 しかし、それは形に残らない。学生自身が成長するので、それはいつかは形になるのであるが、そのつど形にしていけば、本人も友達も教員も後輩にも共有できるのではないか。そして、後輩たちにとって目に見える目標になる。それが「作品化」であって、それ自体は歴代の野村ゼミでやってきたことである。ゼミには選考があり、それなりの志向性をもった学生が覚悟して入ってくる。だから雑誌制作という難易度の高いことができる。そう考えていた。しかし私はそれを基礎演習にスピンオフできるのではないかと考えた。そして最後のレポートを本にすることをめざして、一年間トレーニングをしたのである。具体的なプロセスについては『女子経済学入門──ガーリーカルチャー研究リポート』(国学院大学経済学部野村研究室、二〇一六年)にメイキングとして書いておいたので、ここでは省略するが、結果としてなんとかできた。素材にした本はほとんど野村ゼミで読んできたものである。LINEのおかげで連絡がきわめてスムーズだったし、十二月中旬にトッパンのクラウド編集システムの開発に参加できたのもラッキーだった。おかげで大学の紀要どころか、一流出版社品質の新書本になった。本としての「品質」は、じつは「作品化」にとってかなり大事な要素なのである。

■学生が書くということ、あるいは巨人の肩の上に

 本プロジェクトの基本的な考え方のひとつは、学生の作品は必ずしも「創作物」でなくてもいいのではないか、「編集物」でいいのではないかということである。ただし条件がある。

(1)信頼できる情報源に到達しているか。

(2)それなりの分量の情報・知識を収集しているか。

(3)自分なりの基準をもってセレクトしているか。

(4)素材から的確な論点を引き出せているか。

(5)チームでの議論に耐えうるかを検証しているか。

(6)自分なりの工夫をして表現しているか。

 原稿としては、この六点を満たすのが理想である。企画編集執筆の各段階で何度も確認してきたことだが、本ができたのちに全ページを読んだ上でゼミとして振り返りができればいいと思う。

■天才でないのであれば

 経済学部の授業において「研究成果」は「編集物」でよいという論点について、背景となる考え方を補足しておこう。

 一般に人文社会系の勉強をまとめるさいには次の点が充足していなければならない。

(1)先行研究をフォローすること。

(2)オリジナルな論点があること。

(3)妥当な手続きを取っていること。

(4)形式的要件を満たすスタイルで表現されていること。

 もし学生の作品が一般公開されるとなると、この四点を満たす必要がある。しかし、そうでない場合は(1)を満たすことが重要である。これを無視できるのは天才かカリスマだけであろう。(2)さえあれば、他の条件は支持者や追随者によって整備されるからである。こういう人は、それほど世の中にいるものではない。そう、学生にも教員にも。そもそも、天才にしてもカリスマにしても日本の大学制度にはなじまないであろう。

 経済やその隣接領域について、学生はほとんど白紙状態で大学に来る。高校の「政治経済」の教科書のうち経済を扱っているのは、わずか百ページである。しかも受験は経済の授業より早く来る。だから経済学部生であっても「政治経済」で受験した経験のあるものはごく少数である。

 この領域は年ごとに大きく変化する。たとえば一年生の基礎演習Aでこの春に検索の実習として扱ったテーマは「パナマ文書」である。これは春までだれも知らなかった情報である。その背景には「タックスヘイブン」「オフショア経済」などがある。グローバル経済が直面する「闇の経済、裏の経済」について「パナマ文書」から系統的に説明できる人はまだまだ少ないはずだ。しかし、かれらが就職したとたんに、この種の問題は無関係ではなくなるのである。だからこそ、ニュースの背景にある事柄についての先行研究を読む必要があり、何を重点的にセレクトするかなど、それはそれで重労働なのである。学生は先行研究にキャッチアップできれば十分だと思う。

■原宿ナウマン象のように

 「ここにいた」ことを記録する。それをアナログで残す。残像を形にする。教育のプロセスにおいてなされるものごとはすべて未熟であるに決まっている。だから、足跡も痕跡も残さないようにする方が安全だという考えはまちがっている。生きて学んで感じたことをそのつど形にしていくことで、それは共有され、あとから来る人たちに踏み石として活用されれば、十分意味がある。自分たちの足跡も形になれば、それを読んで「ああ、こんな時期もあったね」と感じることで吹っ切って、自然に次のステップに進めるものである。国学院大学におけるそうした痕跡の集積が「国学院物語」という群像劇を形成していくことになるのではないか。本プロジェクトはその第一歩である。原宿ナウマン象の新しい第一歩である。






大学の総メディア化とは何か

大学の総メディア化とは何か──大学の情報メディアは5つに分けるべきだ

野村 一夫(研究代表者)


大学の総メディア化

 中間考察クロニクルに整理したように、本プロジェクトは1冊1冊作るたびに新しい挑戦をしてきた。まず縦書きにするというのが編集上とても難しい。苦労があったとしたら、ほとんどが縦書きにするための編集上のノウハウに関するものであった。横書きであれば、数日で版下はできあがることも検証した。トッパンエディナビは学生でも操作できることもわかった。それでずいぶん助かった。

 ノムラゼミラジオ計画も技術的にはほとんど苦労しなかった。機材はiPhoneアプリ、公開はFacebookページで済んでしまったからである。問題はどのようなコンテンツに学生を巻き込んでいくか、それが学生にとってどのようなトレーニングになるかということである。

 授業を安全に見える化するメリットの基本は、縦横につながる学生と教員のあいだで作品を共有するということである。作品共有から大学の物語の苗床集団が縦横に育っていくということである。大学の物語を作るのは、他でもない学生たちであるから。

 本報告書の最後に確認したいことは、そのプラットフォームをどのように整備していくかという問題である。

 これらを総括して「大学の総メディア化」と呼ぶことにする。総メディア化は、しばしば勘違いされているように大学が「発信者になる」ことではない。大学が「中継ぎに徹する」という意味である。大学が高等教育機関と定義される以上、発信者になるのは学生と教員である。ここには大きな発想の転換があるので注意されたい。これには研究と教育のあり方を問う根本的な問題が関連してくるが、本稿では最後にこの問題について基本的な考え方を書いておきたい。

 本プロジェクト自体は、高等教育における「教育のメディア」について実地に検証をおこなうものである。私個人として強い関心があるのは、まさに「教育のメディア」だけである。ところが、じっさいには「教育のメディア」は教室の整備をして終わりというものではない。総じて「大学の情報メディア」についての本研究プロジェクトの結論を提示しておきたい。

大学のメディアはどうなっているか

 大学の情報メディアは、理念によって5つに分割すべきである。

(1)広報のメディア

(2)研究のメディア

(3)教育のメディア

(4)入試のメディア

(5)事務のメディア

 これらを分離する理由を明確にしておこう。

 広報のメディアは、大学のプレゼンスを広く知ってもらうためのものである。しかし、日常的にはグッド・ニューズ・オンリー・システムになる。大学にとって都合の悪いことは出せない。この場合「大学にとって」ということが大きな論点になる。つまり、その場合の「大学」とは何を指しているのか。それが特定の部署の都合のいいように御旗として使用されることの多さに私自身は辟易している。たとえば「大学にとって不名誉」という判断は、そうかんたんになされるべきではない。たとえば学生の不祥事が「大学にとって不名誉」かどうかは、全学の学生部委員会の慎重な議論によって定義されるのである。ところが広報のメディアに関しては、広報課とその周辺で「バッド・ニュース」として先行して判断されてしまう。広報はそういう原理で動くものである。とくに古い広報はそうなのである。最近の広報は「バッド・ニュース」も伝える工夫をするようになっているが、ネットの対応のように、そう単純ではない。

 研究のメディアは、研究内容と成果物を広く公開するものである。理念的に言えば、リポジトリのようにオンラインで世界中からアクセス可能でなければならない。完全な公開性をめざすなら多言語対応である必要がある。Googleなどの翻訳サービスは約100カ国語に対応しているが、これを活用すれば、ほんとうの世界への発信になる。それによって外国の研究者との交流も始まる。日本語だけでは不十分である。せめて論文のスタイルを世界標準に揃えておくことが前提であろう。私が編集長をしている『國學院経済学』では『シカゴ・スタイル』に準拠するように変更したばかりである。スタイルが世界標準であれば、機械翻訳であっても、ある程度のことは伝わる。

 教育のメディアについては、これまで十分に議論されてきたとは思わない。教育学系のメディア実践の論文はたくさん生産されているが、高等教育レベルのものでヒントになるものはほとんどない。たいていそれは教室内でのコミュニケーションにとどまって、しかも、あとに何も残らない。

教育のメディアの特徴は「教育現場を安全に公開すること」と「学生の成果物を安全に公開すること」の2つである。なぜ公開が必要なのかというと、関係者における成果物の共有が必要だからである。たとえば学生が提出したレポートを読むのは担当教員だけである。学生の友だちが何を書いたかも共有されない。情報共有のスタイルとしては、教員を中心とする扇型になる。全体を掌握しているのは教員のみとなる。これだと学生間でレポートについて語り合うチャンスはほとんどない。だから口頭発表が必須である。しかし、次の年にはつながらないから、また1からやり直しになる。それでは授業としての成長がない。「これしとけば、いいんじゃね」みたいな先輩の言葉を鵜呑みにして縮小再生産になることが多い。これは良くない。年々、学生たちの成果物がレベルアップしていかないと高等教育とは言えない。先輩たちを乗り越えていく仕掛けが必要だ。そのために継承が必要なのである。

 入試のメディアは、厳格に運用されなければならない。入試情報とウェブ出願のメディアとして別個に運用されるべきである。センター試験が終了することが決まって、これからAO入試が多角的に分岐していく。そのさいに情報端末でデータベースを活用して小論文を書くといったものも出てくる。そのときに使うセキュアなシステムが必要である。つまり入試のメディアの仕事は「入試広報」だけでなくなるのである。すでにウェブ出願は当たり前のことになっている。次は入試そのものに使用できるメディアが必要になる。その準備はできているだろうか。

 事務のメディアは、基本的に厳格に管理されている。問題なのは、情報共有の仕方である。エクセルやワードで文書作成して、それをメールに添付して共有するというやり方は安全ではない。ファイルをアップロードしたりダウンロードしたりする方法はレガシーなものである。転送に転送をされた場合、ファイルの行方がわからなくなる。だれがそのファイルを共有しているのか、改訂したのか、最終ヴァージョンはどれなのか、といったことが誰にもわからない。これは情報のガバナンスができてないということである。職員のシステムは教員の心配することではないと考えられているが、じっさいには教員も膨大な事務作業をおこなっている。教務・入試・自己点検などはセキュアな情報システムが必要になるはずだが、基本的に使えるのは授業用のシステムだけである。

教育のメディアの要件

 教育のメディアとして確保しなければならない要件は安全性である。

 では、安全とは何か。メディアは何がいいのか。どのように運用するか。教員の資質をどのようにアップデートするか。中間考察クロニクルでそれぞれのオケージョンに即して書いておいたが、いくつかの論点を列挙しておきたい。

(1)印刷媒体は有効である。手触りのある本にすると、書類とともに破棄されることなく本棚に残る。授業の経験そのものに価値があるのと同時に、授業の作品化とくに印刷媒体にすることの価値は大きい。

(2)学生のコンテンツをむやみに公開することはリスキーである。学生は「学びのプロセスにある人」であるから、すでにあるコンテンツに学ぶのは当然のことである。それを授業においてレポートにして提出されたものには,公開にふさわしくないものがある。引用や出典が明確にさせれば解決するから、そう指導するにしても、個人情報を含めて全面公開というわけにはいかない。したがって、一般公開用のブログやサイトでは難しい。

(3)ソリューションとして本プロジェクトで実地検証したのが、クラウドによる編集システムとオンデマンド印刷の組み合わせであった。「トッパン・エディトリアルナビ」はクラウド上でページものを編集できる国内ではほとんど唯一のシステムである。縦書きとなると、ここの独擅場ではないかと思う。もともと出版社向けのクラウドサービスであったものの、電子書籍用に使用されることがほとんどで、私たちの『女子経済学入門』が最初の印刷本だったとのことである。現時点では判型が文庫と新書に限定されているのは、そういうものを大量に出す出版社を想定して作られているからである。これをオンデマンド印刷と組み合わせてみたのが本プロジェクトの創案である。

(4)予算の問題については、あれこれ工夫した。トッパンとしてはエディナビについて大学と契約するのは初めてで、最初は従来の出版社用の見積もりであった。しかし、大学はベストセラーを狙っているわけではないので、それだと割高になってしまう。全学的対応であれば、それでもかなり安く済むが、一研究プロジェクトとしては荷が重い。そこでページ単価で契約することを提案し、研究開発機構もトッパンも合意してもらえた。本プロジェクトは全部で十二万ページとして契約した。これだと予定通りに行かなくても、他の本の部数を増やして調整すればいい。授業はなまものなので、予定通りに行くとは限らないから。

(5)コンテンツの配付範囲をコントロールしながら関係者のあいだにコンテンツ共有する仕組みを本プロジェクトでは「メゾメディア」と名づけた。メゾメディアの有力候補がトッパン・エディナビによる編集とオンデマンド印刷の組み合わせであった。では、それだけでいいのか。ネットでメゾメディアはできないのか。と考えて、計画にはなかったネット活用を始めた。それがネットラジオである。これは「渋谷のラジオ」にゼミ生がレギュラー出演していて話を聴いて気づいた。ラジオだと顔が見えない。それだと身内以外にも公開できる。ファイルの流出を防げるサービスを探したところ、Facebookページが最適だと判断して「ノムラゼミラジオ計画」を作ってみた。学生とラジオトークも続けている。ゼミ論の予告などもしているし、学生に何かシリーズをやれと指示しているが、ゼミ論とメディア制作で手一杯のまま就職活動に突入したので休止している。これは継続する価値があると思う。Facebookページでは別に基礎演習Bのコンテンツも公開した。またラジオトークのようなレッスンもしてみた。それぞれ名刺をクラウドで作成して学生たちに配付した。

ノムラゼミラジオ計画 https://www.facebook.com/shibuyaeast/

国学院大学経済学部経営学科1年2組 http://econorium.tokyo

提案

 以上の5つの情報メディアの管理権限は、それぞれのトップが持つべきである。トップが直接管理できないときは、トップ直属のオペレーターが指示通りにおこなえばよい。大学のメディアは5つの理念と活動によってそれぞれ独立かつ自律的に運用されるべきである。混在させたシステムは、邪悪になりがちである。なぜ邪悪になるかというと、情報システムとメディアの管理者が,ユーザーと内容に関するヘゲモニーを持つからである。管理者権限は、ふつう人が漠然と想像しているものよりも、はるかに強力である。それはほぼビッグブラザー並である。職位は高くなくても事実上の最高権力をこっそりと行使できる。しかし、それにもかかわらず5つのメディア領域の原理とルールはまるで異なるのである。教育のメディアを広報のメディアの原理で運用されたら、万事ことなかれになるにちがいない。何もできないように設定にするのが無難ということになる。それでは教育のメディアとして機能しない。

 現状の管理態勢から5メディア態勢に移行する最もかんたんな方法は「すべてクラウド」にすることである。クラウドでは、暗号化と2段階認証は必須であり、しかも活動のすべてが記録される。日常的な管理は劇的にかんたんになり、コンテンツに集中できるし、サポートする余裕ができる。システムのアップデートはクラウド側でおこなわれるので、こちらは必要ない。端末は高性能パソコンである必要はなく、数万円のハードディスクなしのパソコンで可能である。安いパソコンであれば、2年周期ぐらいでリプレイスでき、リスキーな古いパソコンとOSの排除がかんたんになる。クラウドはマルチプラットフォームだから、スマートフォンでも作業ができる。

 組織のガバナンスとしては、情報メディア担当理事を置くべきであろう。情報メディアの管理を課レベルに任せるべきではない。みずほ銀行の大規模なシステムトラブルでは、現場のことが上層部に伝わらず見切り発車をしてしまったことが構造的な要因であった。対策としてなされたのは情報システム担当取締役を設置することだった。たんに実務に長けた人ではなく、情報メディアに関する技術・法務・理論・政治に見識のある人とチームを組んで効果的に制御できる態勢を整えることが重要である。

最後に

「すべてクラウド」でどこまでやれるかについてはここ3年間ずっとやってみた。学生はわりとスムーズに対応してくれる。設備も装備もそれほどいらない。本プロジェクトで得られた知見はまだまだあるが、熟すのに少し時間が必要である。しかるべきメディアで詳しく説明したいと思う。

 本プロジェクトの立ち上げにさいして共同研究者として名乗りを上げていただいた経済学部教務委員会の先生方と許諾をいただいた学部執行部および全学教務委員会に感謝したい。研究開発推進機構のみなさん、とりわけ相川さんには終始お世話になった。深く感謝したい。出版社向けに開発された革新的なクラウド技術を教育機関に提供してくださり、たえずサポートをしていただいた凸版印刷株式会社のスタッフのみなさんに深く感謝したい。そして、この過酷なプロジェクトに参加し、思い通りの成果物を提出してくれたゼミやクラスの学生たち全員に感謝したい。

 本研究は「平成二十八年度國學院大學特色ある教育研究」に採択されたものである。謹んで國學院大學に感謝したい。

二〇一七年四月六日 研究代表者 野村一夫(経済学部教授)

R707FF@kokugakuin.ac.jp

『社会学感覚』索引

■あ あいさつ 236 アイデア・プロセッサ 221 アイデンティティ 63,189-193,194,197,206,208-209,217-219,227,291,318,363,373,388,433 アイデンティティ・クライシス[アイデンティティの危機] 189-193,444 アイデンティティ論 178 アイドル現象 414 アウトサイダー 440 アウトサイダー主義 154 アウラ 405-406 アウラの喪失 406 青井和夫 142 青木保 53 赤池憲昭 391 アカ狩り[レッドパージ] 452 赤坂憲雄 45,376,454-455,470 秋元律郎 86,90 阿木幸男 471 アクチュアリティ 274 悪の劇化 444 悪魔界のうわさ 357 阿含教 393 浅井信雄 376 アサイラム 91 朝倉恵俊 93,100 浅野健一 283,288,296 朝日新聞 278-279,283,294,486,488,490 亜細亜製薬 486 味の素 300 芦部信喜 276 アジール 127,370 安積純子 318 あたかも□□であるかのように 201 新しい社会運動 333,457 新睦人 111-112,119,131,158,175,211,251,392-393 渥美和久 433 阿閉吉男 52,63,71,79-80,123,125,129,131,159,204,316,376-377,389,420 アドルノ 169,397 アナウンス効果 23-24 アニミズム 382 アノミー[無規制状態] 117,140,142 アノミー的自殺 117,140 アフタヌーン・ショー 280 天木志保美 34 天下り 322,496-497 天沢退二郎 179 天野祐吉 296 網野善彦 369 アメリカ病院協会 527 あやつり人形[マリオネット](劇) 166,196-197,202-203 鮎川潤 148 新井直之 175,274,279,285-287,292 荒川幾男 169 アリエス 348-349 有地享 17,361 有吉広介 257 アンダーソン 87,89-90,119 アンダードック効果 23 安藤英治 81,400 アンドレスキー 24 アンビヴァレンス[両義性] 154,213 アンプル入りかぜ薬によるショック死 490  

■い 飯島伸子 392-393 イエスの方舟 396,454 「イエスの方舟」報道 375-376 家元制度 328 異化 49-50 医学[近代医学] 81-82,101-102,509-510 医学パラダイム 509-515,525-526 医学パラダイム外部の問題点 511 医学パラダイム内部の問題点 510 医学パラダイムの成果 509 異化効果 49 異化の原理 49 五十嵐二葉 283 生松敬三 389,399 異議申し立て運動 193 井口浩二 493 池上嘉彦 455 池田謙一 264,271 池宮英才 400 意見の風土 264 医師→医者 医師の専門家支配 526 石川晃弘 170,223 石川実 44 意識 10,21,106,232 意識の有無 20 石黒毅 47,91,217,239,318 意思決定システム 330 石崎晴己 64 石丸正 238 いじめ 454-456,468 医者[医師] 30,205,440,499,505,509 〈医者−患者〉関係のモデル 522-523 医者の役割 211 異常 135-136,141 異人→異邦人 イーストホープ 86 イスラム教 52,55,376-377,383 イスラム原理主義 391 磯村英一 87 イタイイタイ病 453 板倉宏 329 市川孝一 513 市野川容孝 145,396 一覧性 250 一神教 55,383 逸脱 44,141-142,329,440,444,493 逸脱行動 141,440 逸脱した病者役割行動 517 逸脱者 44,153,440,516 逸脱的役割 205,440,513 一般化された他者 207-208 一般社会学 108 一般理論 112 イデオロギー 33,81,142,343,351,362,419,424 伊藤るり 34 意図せざる結果 78-79 稲葉三千男 160,187,206,232,279,282 稲増龍夫 366,409,414 犬のケンカ 233 井上俊 175 井上順孝 392 井上博二 168,401 井の頭公園カップル破綻説 300 猪口邦子 463 異文化間コミュニケーション 45,239-240,243,525 異邦人[よそ者/異人] 44-46,205,453,470 異邦人の解釈学的効果 45 異邦人の眼で見る 44,49,232,240 今井賢一 333 〈いま、ここ〉の知識 275 今田高俊 34-35,64,111,334,457 今西錦司 10 今村仁司 15,169,223 意味 234 意味されるもの→シニフィエ 意味するもの→シニフィアン 意味喪失(問題) 80-81,142,319 意味づけのコード 362-363 意味の共有 236,241-243 意味の消費 356 意味の世界[意味世界] 65,76,78,86,501 意味連関 77 移民問題 86 イメージソング 413 居安正 16,44,129,136,200,322,376,420 イリイチ 450 医療 82,97,273,499,509,512,522,525-526,528,530-531 医療化 450 医療社会学 101-102,509,515 医療ジャーナリズム 508 医療責任の分散 524 医療の社会化 514 岩崎信彦 107 インサイダー主義 146,154 印象操作 217 インフォーマル・グループ 320,323,328,497 インフォームド・コンセント[知らされた上での同意] 527,530 インフルエンザ予防接種 491  

■う ウー 517-518,520 ヴァーガス 238,240 ヴァルネラビリティ[攻撃誘発性/被撃性] 455 ヴァルネラビリティと有徴性 455 ウィーバー 228 ウィルス説→スモン感染説 ウィルソン 390 ウィンダール 262 上田昌文 492 上野千鶴子 174,343-344,349,363,371,446,535 ウェーバー[ヴェーバー] 11,51-53,62-63,65,69-75,80-83,106,121-126,135-136,142,159,168,174,234,316,318-319,384-385,387-390,398-401,415,420-422,429,432-433,462,469,535,539 ウェーバーの意味喪失問題 80 ウェーバーの合理化論 398 ウェーバーの支配社会学 420 ヴェブレン 30,361 ウェルズ 256 ウォークマン 412 ウォーターゲート事件 274,278 受け手[オーディエンス](の役割) 205,216,228,237-242,253,257,261,266,269,285,401,406,503-505 受け手の解釈作業[受け手の解釈実践] 269-270 受け手の解読コード 461 受け手の感情 281 受け手の選択的メカニズム  受け手の能動性 269 〈受け手の能動性〉対〈メディアの影響〉 269 受け手の反応 234,236,242,457,461 受け手批判 293 受け手の明識 292 潮木守一 33 内川芳美 175,276 内田隆三 174,432 ウッドコック 471 宇都宮輝夫 18,514 裏返してみる 43 浦野和彦 199 売上税 263 うわさ[流言] 297-310,437 うわさとの関わり方 308 うわさについての常識 306 うわさの合理性 309 うわさの法則 305 運動的関心 138-139,151  

■え 映画 250 エイジズム[年齢差別/老人差別] 447 エスノグラフィー 88,92 エスノメソドロジー 34 エートス 16,71,96,104,108,138,157,503 江原由美子 34,270,345,434,441-442,444 海老原明夫 62 エポケー[判断停止] 218 エホバの証人輸血拒否事件 35,145 エモーショナリズム 281-282 エリクソン 192-193 エリート 44,68,190-191,329 エリートとしてのアイデンティティ 191 遠近法 399 演劇的個性 202 エンゲルス 57,105-106,184,426 えん罪事件 283,465 演奏会 403 演奏会のモラル 402 遠藤湘吉 106 エンマ 281  

■お 老い 127,445-448,519-520,522 老いに対する六つの偏見 447 老いの意味 43,446 老いの積極的意味 447-448 オイルショック 391 オーウェル 80,94,425 大内力 106 大鐘武 63,168,401 大きな物語 357 大熊一夫 127,513 大島直政 377 大谷明宏 463 大月隆寛 298 大塚英志 174,306,356-357,362-363,371,373-374 大塚久雄 70-71,319,389,399 大友克洋 454 大野智也 522 大橋幸 342 大村英昭 44,119,158,378-379,382,390,393,444 大本教 392 岡崎次郎 184,419 岡澤憲一郎 71,168,401 岡田直之 27 岡堂哲雄 447 岡原正幸 318 岡部慶三 276 オカルト・ブーム 392 小川博司 410-415 沖縄返還交渉に関する外務省機密文書漏洩事件 276 荻野綱男 221 奥平康弘 276 奥出直人 221 小倉豊文 179 オグリキャップ人気 368 送り手(の役割) 205,228-230,239-240,253 〈送り手−受け手〉図式 251,253 送り手・受け手の共犯 368 〈送り手−受け手〉の役割 253-254 送り手と受け手の分離 276 送り手の意図 236,242,265,269,461 小此木啓吾 192 小此木真三郎 443 長木征二 414 お嬢様ブーム 368 尾高邦雄 171,325,327 尾高朝雄 490 落合恵美子 349-350 夫の役割 343 オーディエンス→受け手 オーディエンスとしての他者 504-505 「男らしさ女らしさ」の呪縛 48 大人としてのアイデンティティ 191 大人の社会化 208 尾中文哉 318 お涙頂戴 49,281 おニャン子クラブ 414 小野薬品 489 おはらい 379 小原敬士 361 オピニオン・リーダー 260 オペラ・ブーム 413 おやじギャルブーム 368 親−年長児モデル 523 親−幼児モデル 523 オリジナル楽器演奏ブーム 414 オリジナルとコピーの区別 408 折橋徹彦 206,215 オルポート 305,437 オルレアンのうわさ 92,301-304 音楽 397-415 音楽イベント 414 音楽化社会[音楽する社会] 410,412,415 音楽現象 401 音楽社会学 52,397,400 音楽の受け手 401,406 音楽の正しい聴き方 401-402 音楽の変容 406 音楽文化の担い手 403 音響物理学 400 恩恵による選びの教説 72 オンブズマン 500  

■か 海外帰国子女[帰国子女] 39,456 外国人労働者 35,301,306,437 介護サービス 347 解釈作業→受け手の解釈作業 解釈作業の解釈図式 270 解釈システムとしての組織 334 解釈的過程[選択的解釈過程] 202,210 会社供養塔 379 会社人間 30,322,325 階層秩序化 430 外的拘束力 159 外敵による内集団の統合 132 概念 121 概念的に把握する 56 カウンター・カルチャー→対抗文化 カオス 388 加害者(の役割) 205,329,443,502,504 科学 149 科学ジャーナリズム 508 鏡としての他者 185 鏡に映った自我 183,185 核アレルギー 425 学園型(大学) 33 核家族 51,350 確認書和解 488,502 家具の音楽 406 加護野忠男 324 梶井正 486 柏岡富英 197 梶田孝道 29 鹿島敬 343-344,347 家事労働 343-344,350 ガース 67 カステル 107 家族 51,116,339-352 家族愛 51,349-350 家族機能 339-342 家族圏 351 家族成員相互の強い情緒的関係 349 家族における老人の介護担当者 346 家族の集団性の強化 350 家族の比較社会学/歴史社会学 348 家族の役割構造 342,345 家族病理 143 家族崩壊 350 家族役割 205 型 17 片親家族 43,143,351 語りのスタイル 304 価値合理的行為 123-124,389 価値自由 136 価値判断 142-143,146,273,307 勝田晴美 331 カッツ 257,260 葛藤構造 524-525 河童 304,453 勝又正直 400 桂敬一 280 家庭(の)責任 344-345 家庭内離婚 35 加藤俊彦 106 加藤秀俊 26,327 金井淑子 349 家内領域と公共領域の分離 349 金沢実 24,213,260 金子郁容 333 貨幣 54,57 鎌田彰仁 34,38,171,387 鎌田慧 94,503 神[カミ] 54,72-74,381-382,450 神隠し 453 仮面 195,209,218,227 仮面ライダースナック 356 通い婚 351 カラオケブーム 412 カリスマ 125-126,384-387,390,392,421 カリスマ的指導者 385,391 カリスマ的支配 125-126,385,421 カリスマの日常化 126,385,406 ガリレイ 49 カルチャー・ショック 45,46,59 カルヴァン 72 カルヴィニズム 72 カルガモの引越し(報道) 286 カルチュラル・スタディ派 107 ガルトゥング 466-467 加齢の神話(老人の) 447 川合隆男 86 川上澄江 287,295 河上倫逸 81,104,319,399,457 川名英之 485,487,489,492 川村暁雄 492 観客 49,166,205,216,285 環境制約型コミュニケーション 424-426 環境適応モデル(組織の) 335 環境認知 266 環境の監視 268 監禁刑 429-430 関係の第一次性 184 観察主体 21-22 患者(の役割) 203,205,487-488,501,505,522,525-531 患者自身の自己管理 512 患者の権利 526-530 患者の権利章典 527 患者の権利宣言 526 患者の権利に対するリスボン宣言 529 患者の〈声〉 525 患者の「最善の利益」 523,525 患者の自己決定権 526 患者不在の医療 510 患者への差別 487 患者役割からの逸脱 203 観照→理論的実践 感情中立性 153 感情的行為 124 感情同化の原理 49 感性エリート 363 感性的センセーショナリズム 282 感染症患者の役割 501 勧善懲悪思想 284 関東大震災時の朝鮮人虐殺 301,443 監督省庁と業界の癒着 322 冠コンサート 414 管理教育 454 管理社会論 152 〈管理〉対〈自律〉 318 官僚 30 官僚制→ビューロクラシー 官僚制的組織 399 官僚制的支配 317 官僚制の逆機能 141 管理抑制型コミュニケーション 426  

■き 消えるヒッチハイカー 298 議会制度 399 機械モデル(組織の) 335 機械論的システム概念 規格化 430 危機 38-39 企業逸脱 329-330,493-495 企業逸脱の仮説 494 企業城下町 277,453 企業社会 435-436 企業神社[企業守護神] 379 企業戦略 494 企業組織 493-494,520,522 企業内における信教の自由 379 企業の社会的責任 277 企業の文化戦略としての音楽 414 企業犯罪 68,329 企業秘密 277 企業文化 328 菊田幸一 464 菊池章夫 256 菊池美代志 342 記号 165,236,359,363-366 記号消費 358,360,362 記号としての広告作品 366 記号としての商品 365 記号としてのモノ 362 記号の進化 236 記号論[記号学] 40,363-365,455 記号論とはなにか 363 記号を媒介にした相互作用 236 帰国子女→海外帰国子女 記者クラブ 287 技術者 30 技術的知識 27-32,539 稀少性 355 季節労働者 119 規則に支配された創造性 165 議題設定機能 263,266,286,538 期待の衝突 524 北原淳 351 喫煙問題 145 ギデンス 64,159 キツセ 148 機能 161,339 機能主義 158,163 機能障害 520-521 機能的に分化したシステム 113 木下是雄 220 キノホルム 329,488,492 キノホルム説→スモン=キノホルム説 キノホルム被害者の役割 502 気晴らし 268 規範科学 273 規範主義的な役割概念[規範的役割概念] 197 記譜法 400 君塚大学 20,34,44 木村敏 191 喜谷課長 497 逆機能 141-142 客我[me] 187-188,207,210 客我と主我の対話→主我と客我の対話のプロセス 客観的意味[現実的意味] 234 客観的結果 78,95 客観的現実としての社会 63,84 客観報道主義 250 キャレール 463 キャントリル 256 ギャンブル(のファッション化/の情報ゲーム化) 368 キャンペーン 265 キャンペーン効果 265-266 究極的意味 387 究極的意味の世界としての宗教 386 救済の対象 381 急性疾患 510,512-514 ギュルヴィッチ 99 教育・労働・性・マスコミの現場における構造的暴力 468 境界事例 191 狭義の社会 12-14,159 教師 30,205,212,440 強制 422 行政幹部 421 強制指導型コミュニケーション 424 行政秘密 277 強制力 55-56 教祖 375,381,386,396 競争 131 共通形式 129-133,279,419 共謀関係 322 強力効果説(マス・メディアの) 255-257,265 強力効果説の基本前提 257 強力効果説への回帰 261 巨大組織 332 虚脱と倦怠 119 共犯性[共謀性] 201 虚報 280-281,293 距離化 46-47 距離のとり方 237 規律 319,430,432-433 規律社会 431 ギロー 365 金城清子 347 近代 10,47,403 近代医学→医学 近代(自然)科学→自然科学 近代家族 51,349-351 「近代家族」の理念型 349 近代資本主義[近代の合理的・経営的資本主義] 51-52,70-74 近代社会 11,56,183,189,192,195,198,206,316,319,399,516 近代西欧音楽 400-402 近代的聴衆 402,404 近代日本の排除現象 452 近代(化)の産物 343,349,382 近代ロマンチックラブ・イデオロギー 349 緊張論 460 禁欲 72-74 禁欲的プロテスタンティズム 72-73,95-96,122 禁欲的プロテスタンティズムの倫理 122  

■く クォリティ・オブ・ライフ→生の質 薬 505-508 薬の非合理的な使われ方 505 薬の本質 506 クチコミ 308 クチコミの反乱 297,302 口裂け女 300 クック 293-294 グッド・ニュース・オンリー・システム 288 グーテンベルク 249 苦難の神義論 389,451 熊谷苑子 24 熊沢誠 323 組合専従幹部 30 公文俊平 327-328 クラカウアー 15,169,256 クラシック(音楽) 402 クラシックブーム 413 暮しの手帖 289 倉田和四生 161 クラッパー 258,265 グランド・セオリー→誇大理論 クーリー 160,184-185,341 栗岡幹英 106,488,501,503,525 グリコ・森永事件[グリコ事件] 281,285 クリーシェ 40-41,43-44 栗原彬 27,173,193,223 栗原孝 219 栗原淑江 168,401 栗原裕 249 グリュネンタール社 485-486 グールド 408-409 グールドナー 27-28,111,539 クレイム申し立て活動 148 クレタ人のパラドックス 20 クレッシー 88 クロスビー 407 黒住教 392 黒田勇 262 黒田浩一郎 499 クロロキン(事件) 322,488-490,497,504,507 クロロキン網膜症 489,491,507 桑田禮彰 432 訓練された無能力 30  

■け 経済的非協力 474,475 経済的ボイコット 474 警察 440,462-463 形式社会学 130,157,159,419 芸術社会学 397 芸術という概念 403 経済機能(家族の) 340-341 経済的世界におけるモノ 359 競馬 367 劇場型犯罪 285 劇場空間 370-372 劇場空間化 370-373 劇場としての社会 165 化粧 238 ケスラー 52,399-400 結婚式 35 欠損家族 143 ゲットー 88 欠乏と不満 118 血友病患者 436 ケネディ暗殺事件 262 ゲマインシャフト 341 ゲマインシャフトとしての家族 341-342 ゲーム遊び 207 けやきの郷事件 454 ケラー 521 ケルシー 485 ゲルハルト 197 嫌煙運動 145 研究対象の同一性 21 健康と病気[病気と健康] 126-128,514 言語 165,235,242,426 言語活動[ランガージュ] 84 原告の役割 502 言語コード 426 言語としての社会 165 顕在的社会問題 150 現象学的社会学 34,38-39,47,169 健常者(役割) 436,518,520 検証報道 288 現世内禁欲→世俗内禁欲 健全家族 143 現代家族における家族機能の縮小 340 現代型都市空間 372 現代社会学の研究領域 8 現代社会論 152 現代人のアイデンティティの中心をなしているもの 194 現代日本における老い 445 現代のうわさ 299 現代民話 298-299 限定効果説(マス・メディアの)257-258,263,265 限定効果モデル 258 原発 35 憲法 379,399 権力 275,432 権力作用[権力関係/力] 432-434,435,443,450,454,466 権力作用論 429,433 権力作用論の意義 432 権力者 419 権力なしの社会 419 権力の技法[権力形式] 433,441 権力の秘密 419 権力は身近な生活の場に宿っている 418,433 権力批判 282 権力論の課題 418 言論の自由 276  

■こ 行為 62-63,95 合意 422-423,429 行為者 76,95,159,216 行為者の理解作用[行為者の理解性] 202 行為主体 64,330 行為と表現のディレンマ 216 行為の意味を理解する 37 行為の自由 218 行為の集積としての社会 60 行為の主観的意味と客観的結果 78 行為の諸類型→社会的行為の諸類型 行為の媒体 202 行為への実践的起動力 16,71 高護 414 コーエン 47 公害 31,453 公害企業 481 公害認定 149 公害被害者 453 交換 57 効果の概念 265 高感度人間 363 後期採用者 263 広義の社会 12-13,129,159 高校中退(者) 39,68 広告 366-369 広告音楽 413 広告コンセプト 366 広告の機能 366 広告万能論 368 公式的見解 146 厚生省 486-492,495-498,502,507 厚生省の問題 496 厚生省薬務局 496 厚生省薬務局製薬課 489,497 構造化論 64 構造生成性 111 構造的暴力 466-468,480-481 構造の二重性 64,271 行動のなかに潜在する宗教性 380 高度経済成長 343,453 高度情報社会 297 幸福 394-395 幸福の神義論 389 合法的支配 125,420 合法的な暴力 462 公民権運動 193,410,437 孝本貢 392 合理化 70,73,389-390,398-401,415,421 合理性 309-310 合理的法体系 399 高齢化 342,512,522 声の質 238 国鉄 330-332 国鉄組織内部の意思決定のメカニズム 331 個々人のかつてみない内面的孤独の感情 72 コーザー 169 誇示的消費 361 児島和人 253,262 個人環境に関する私的問題 103 個人と社会[社会と個人] 64,117,195 コスモス 388 個性化 188,210,361-362 個性的修正[個性的反応] 187 個性的理念型[歴史的理念型]121-123,125 個性認識 200 個性を演じる 373 誇大理論 112 国家 54,62-63,116,462 国家権力 418 国家神道 382 国家的暴力 461-462,465-466,480 国家によって独占された正当な物理的暴力 462,464 国家秘密 277 こっくりさん 392 ごっこ遊び 207 ゴッフマン 91,206,215-217,239,318,444-445,447,456 ゴーデット 257 コード 366-369,428 後藤和彦 249 後藤孝典 489-490,497 五島勉 392 後藤正治 458 孤独と反目 118 ことばの生理 284 子ども 51,356 子ども時代 348-349 子ども中心主義 349 子どもとしてのアイデンティティ 191 子どもの社会化 206,341-342,349 ゴードン 518 コノテーション[内示的意義/判示的意味] 365-367,372 個別化された幸福の神義論 394 個別化された不幸の神義論 395 誤報 280-281,293 こまぎれ医療 510-511 小松茂夫 471 コミュニケーション 160-161,181,226-242,307,362-363,442,461,525,531 コミュニケーション概念の形式的な定義 コミュニケーション現象 299,306 コミュニケーション・ツールとしての作文技術 220 コミュニケーションの意味 236,269 コミュニケーションの効率性 230 コミュニケーションの始発者 237,253 コミュニケーションの始発者としての受け手 237,269 コミュニケーションの始発点としての受容行動 269 コミュニケーションの条件 337 コミュニケーションの常識モデル[コミュニケーションについての一般的なイメージ] 229-231,236 コミュニケーションの常識モデルの問題点 229 コミュニケーションの数学的モデル 228 コミュニケーションの脱物象化 266 コミュニケーションの内容 248-249,253 コミュニケーションの二段階の流れ 260,262 コミュニケーションの二段階の流れ理論 262 コミュニケーションの微視的世界 86 コミュニケーションの本質についての中間考察 236 コミュニケーションの目的性 230-231 コミュニケーション・メディア→メディア コミュニケーション・モデル 228 コミュニケーション論 50 ゴーラー 18,514 コラルジル中毒 491 コリンズ 52,96,400 ゴルバチョフ 170 コンウェル 88 根源社 379 金光教 392 コンサート・ドロップアウト 408 コンストラクション 164 コンティンジェンシー理論 324,335 コント 134 今野敏彦 88 コーンハウザー 175  

■さ 差異 441-444,450,454-456 差異化 361-362,373,430 差異化の(社会的)コード 366-368,371 災害報道 280 災害流言 309 西郷隆盛 300 最初に関係ありき 184 ザィデルフェルト 40-41,405 サイード 376 斉藤耕二 256 斉藤茂男 94 斉藤吉雄 137 柴門ふみ 35 サウンド志向 410-411 阪井敏郎 345 榊ひろと 414 坂田正顕 199 向坂逸郎 57 作田啓一 25-26 桜井厚 44,87,203 桜井哲夫 174-175,317 サザエさん 300 佐々木一義 198 佐々木交賢 108 笹田直人 15,169 サザーランド[サザランド] 88,493 サザンオールスターズ 411 サス 523 佐高信 94,379 作曲家 400 作曲家の偶像化 403 サティ 406 佐藤郁哉 66,88,92 佐藤健二 93,300 佐藤首相 425 佐藤毅 49-50,107,206,215 佐藤勉 110,113,196,515 佐藤信夫 364-365 佐藤友之 280 佐藤成文 376 佐藤良明 243 佐藤嘉一 241 真田孝昭 513 佐野勝隆 170 サービス残業 323 サブカルチャー 143,460-461 サブシステム 110 差別 441-442,444,449-450,487,504,514,518 差別の論理 441-442 サリドマイド事件 322,485,490,497,504 沢木耕太郎 94 澤地久枝 276 参加型音楽行動 412 産業社会論 152 サンクション 323 サンゴ落書き報道[サンゴ落書き事件] 278,280,294 サン-シモン 134 三世代家族 351 三ない運動 97 散漫な受け手 406 三味一体定式 57 残余科学 11-12 参与観察 89-91,137  

■し 死 17-18,82,102,309,513 ジェイ 15,169 シェイクスピア 195 ジェイムズ 186 ジェスチャー→身ぶり シェフ 513 塩原勉 11,211,324,392-393 塩谷政憲 392 私化[私生活化] 391 自我 185-190,210,218,227,232,235 自我意識 227,235 自覚されない宗教性 377 自覚と現実行動の不一致 377 自我形成 195 シカゴ学派 86,90-92,137,141,146,157,160,186 シカゴ大学 86-87,158 自我の主体性 186 自我の創造性 187 自我の多面性 185 自我は関係である 181 自我は現象である 180 自我は複合体である 181 自我は矛盾である 182 自我は流動的である 180 自我論 178 軸の転回 79 死刑 462,464-465 死刑存置論 464 死刑廃止論 464 死刑の犯罪抑止力 464-465 重田晃一 106 重信幸彦 298 事件 278,302,500 自己確認 268 自己言及 19 自己言及のパラドックス 19 自己実現 209,218,227 自己成就的予言[予言の自己成就] 23-24,283,443-444,455 自己組織性 111,334-335 自己組織モデル(組織の) 335 自己定義 186,190,218,502,519 自己破壊的予言 23-24 自己反省 59,293-294 自己変革的な科学 14 自己本位的自殺 116 自己理解 28 自己類型化 115,198 自殺 16,116-117,135 自殺類型 116 事実行為性 202 事実婚 351 時事問題へのアプローチ 222 自粛(昭和天皇の病状悪化による) 454 システム 108-112,161-162 システム概念 109 システム合理性 310,531 システムによる生活世界の植民地化 148,161-162,319 システムの自律性 80 システムのハイアラーキー 110 システムの論理 319 システム論 108-113,161,163 私生活化→私化 施設 318 視線 237 視線の交差[アイ・コンタクト] 239 自然科学[近代科学/近代自然科学] 20-22,29,81,149,160,399,510-511 自然科学における自己言及の問題 21 自然現象 76 自然的世界におけるモノ 359 自然的態度 38 自然という書物 21 自然認識と社会認識 199 シタラム 45,239-240 七五三 382 視聴質 269 視聴者教育 292,295 視聴率 250,269 実験室としての都市 137,160 実証主義 157,159 実践的関心 135,139,151 実践的志向 135-136,138,151 疾病構造 512,515,522,526 実名報道主義 283 指定された本の探し方 246 史的唯物論→唯物史観 史的唯物論との対決 75 視点の闘争 144-145 指導−協力の関係 523 自動車学校型(大学) 33 シニフィアン[意味するもの] 165,364-366 シニフィエ[意味されるもの] 165,364-367,371 シーニュ 364 篠沢秀夫 40 死の社会学 18,514 死の社会性 17 篠田浩一郎 451 死のポルノグラフィー 514 支配 317-318,419-422,432 支配関係なしの社会 419 支配者 131 支配の一形式としてのビューロクラシー 317 支配の技法 430 支配の原型 421 支配の社会学[支配社会学] 124,432,479-480 支配の諸類型 124,126 支配の正当性(根拠)[正当的支配]124,420,427 支配は相互作用 419 自発的服従 317-319,419,422,428,432-433,480 私秘的生活者の役割 501 シブタニ 307 渋谷パルコ 371 自分とはなにか 179 資本主義 70-71,95 資本主義的企業 399 資本主義のエートス 71 資本主義の起源 52,96 資本主義の精神 71-76,96,122 島薗進 392 清水幾多郎 123,158 清水克雄 356 市民社会の解剖学 135 市民的抵抗 471 自民党 321 自明性 39,43,46,56-57,59,61,539 自明性を疑う→日常生活の自明性を疑う 自明な世界 38,47 霜野寿亮 86 社員研修 31 社会 10,63,83-85,100,158-166,173 社会医学 101,509-510,515 社会運動 139,148-149,153,193,333,386,436,457,479,481,500,503,538 社会科 8 社会化[社会になること](ジンメルの概念) 130-132,206,419 社会化 206,208,210,264,426 社会解体 141-143 社会外的側面 16 社会外的不可測性 200-201 社会概念 10,156,162 社会概念と社会学構想 156 社会科学 8,13,20,57,427 社会科学的ジャーナリズム 284 社会科学との関係 11 社会科学の研究対象 11 社会科学の実践的性格 24 社会科学の世話役としての社会学 103 社会化機能(家族の) 340-342 社会学 8,104-105,158-162 社会学化[諸科学の社会学化] 25,107,535 社会学感覚 18-19,25-26,36,48,94,534-535 社会学感覚なき社会学研究 18 社会学教育 18-19,24,533,538 社会学系の事典類222 社会学研究 18-19,538 社会学研究の実践的課題 152 社会学構想 156 社会学史の六つの段階 157 社会学者 24 社会学主義 107-108 社会学帝国主義 108 社会学的アンビヴァレンス 213,219 社会学的概念の役割 129,133 社会学的機能主義 157,161 社会学的時代診断 151-152 社会学的実践 16,18,25,128 社会学的シンクレティズム 540 社会学的想像力 103,503 社会学的知識 152 社会学的に羊の毛を刈る 517 社会学的認識における類型化[社会学的類型化/社会学における類型化] 115-117 社会学的発想 36 社会学的反省 58-59 社会学的ブリコラージュ 540 社会学的理念型→類型的理念型 社会学とジャーナリズム→ジャーナリズムと社会学 社会学のエートス[社会学的エートス] 18,91,146 社会学の研究対象[社会学の研究領域] 11,13-15 社会学の研究対象の最大公約数 12 社会学の研究対象の最小公倍数 12 社会学の構成問題 156 社会学のジャーナリズム化 538 社会学の専門科学性 11 社会学のトリック 20 社会学の役割 150 社会学のレーゾンデートル 538 社会学はなにを研究する科学か 10 社会学批判 13 社会化のエージェント 341,426 社会化の諸形式 130-131,419 社会関係についての類型化 198-199 社会形象 83,85 社会決定論 197 社会現象 76 社会現象における共通形式を抽出する 37 社会現象を総合的に認識する 37 社会構造 164 社会構造に関する公的問題 103 社会史 10-11 社会システム110-112,141,161 社会システムの学 112 社会システム論 110,131 社会システム論の根本的修正 110 社会集団の自己保存 132 社会主義社会の社会学 169 社会心理学 160,184 社会人という役割 501 社会性 16,506-507,526 社会制度 61-62 社会的意味(づけ) 356,359-360,363,365 社会的現実の構成 61 社会的行為 95,123 社会的行為の集積 159 社会的行為の諸類型 123,389 社会的事実 48,55,56,62-63,83,85,107,120,159 社会的弱者 435-436,446,456 社会的弱者とアイデンティティ 192 社会的制裁 283 社会的勢力からの自立 289 社会的世界と物理的世界のちがい→物理的世界と社会的世界のちがい 社会的反作用 141 社会的非協力 473 社会的不利 521 社会と個人→個人と社会 社会になること→社会化 社会認識にひそむトリック 20 社会の形式 159 社会の構成単位 62 社会のトリック 20 社会の内容 159 社会の反省的コミュニケーション 428 社会の反省性 128 社会のラングとパロール 83 社会は機械である 163 社会は記号である 165 社会は客観的な現実である 63 社会は劇場である 165-166 社会は言語である 84,165 社会は建築である 164 社会は交換である 164 社会はコミュニケーションである 164 社会は宗教現象である 387 社会は生物有機体である 163 社会は闘争である 164 社会は人間の産物である 63 社会病理 140-142,307 社会病理学 140 社会物理学 105 社会変動 143 社会本質論 156 社会問題 140,146,147,505 社会問題と価値判断 142 社会問題としての薬害 484 社会問題の主観的定義 148 社会問題の定義 144 社会問題の判定者 145 社会問題への理論的歴史的関心 135 社会問題論のキーコンセプト 140 社会薬学 484 社会有機体説 140 社会理論 104 社会を可能にする知識事実 200 社会をまるごと認識したい 104,108,134 ジャクソン 199 社交(界) 204,402-403 社交の衰退 350 社主制度 289 社内転職 290 ジャーナリスト 25,537 ジャーナリスト教育の問題 290 ジャーナリストの内部的自由 291-292 ジャーナリズム 25,29,90,134,149,153-154,243,250,272-294,309-310,428,486,503,508,538 ジャーナリズムが「正義の味方」にみえるとき 278 ジャーナリズム組織の経営の独立 289 ジャーナリズムと社会学 92-93 ジャーナリズムと社会学の中間領域 93 ジャーナリズムとはなにか 274 ジャーナリズムの社会学化 537 ジャーナリズムの宗教理解 375 ジャーナリズムの主体 274 ジャーナリズムの自律性 282 ジャーナリズムの理念 273,277,282,290-291 ジャーナリズムの理念復権のために必要なこと 289 ジャーナリズムは「正義の味方」か 278 ジャーナリズム論関係の雑誌 296 シャノン 228 シャープ 470-471 周囲の否定的な反応としてのスティグマ 446-447 宗教 16,310,370,373-374,375-396 宗教改革 72,76 宗教回帰現象 376,391,394 宗教感覚 378 宗教教育 72 宗教形態 381 宗教行為 124,389 宗教行動 378,383 宗教社会学 384,390 宗教心 376-377,384,390 宗教的活動(国の) 380 宗教的寛容性 383 宗教的構図(日常生活の) 39 宗教的世界像 389 宗教のオーディエンス 376 宗教の機能 387 宗教の原点としてのカリスマ 384 宗教の個人化 391 宗教の社会統合機能[秩序づけ機能] 387-388 宗教の社会変革機能 387 宗教は非合理か 388 宗教への視点 375 宗教への表面的無関心 380 集合的無責任 332,494,524 集合的無責任の生成 330 重層信仰 383 集中的聴取 402,404,406 集団 315,351 集団主義 327-328 集団本位的自殺 117 柔軟性欠如の神話(老人の) 448 十二平均律 400 十八世紀音楽の聴かれ方 402 週末結婚 351 収容所→アサイラム 修養団 379 重要な他者 207 主我 187-188,210 寿岳文章 236 主我と客我の対話のプロセス[客我と主我の対話/Iとmeの対話] 188,210 主観的意味 65-69,76-77,78,95-96,159,234 主観的現実としての社会 63 粛清 170,452 取材の自由 277 取材・報道される側の論理 282 呪術からの解放[脱呪術化] 390,399 呪術的カリスマ 393 主体性 210 主体相関的 28 シュッツ 38,44-45,115,169,198,200,203 受容過程論 253-254 シュラム 175,265 受療行動 525 シュルフター 517 準拠集団[リファレンス・グループ] 259-260,291,323-324 純正律 400-401 ショウ 88,92 上位と下位[上位−下位関係] 131,419 障害[障害類型/障害概念] 127-128,445,514-515,520-522 障害者 54,128,435-436,515,520,522 障害者雇用 435 障害者役割 518-520,522,526 障害の定義 520 使用価値 359-360,365 状況的役割 205 状況の定義(づけ) 68-69,86,217,308 消極的平和 467 常識的構成体[知識構成体/常識的な構成概念] 199-200 常識的知識[常識/通念] 38-39,41-44,48,51,75,115,128,148,227,255,307,342,388,418,422,450,459,466,517,519,539 常識のもつ権力性 148 常識を疑う 41-42 少女 373 少数民族 54 状態ではなくプロセスとしての社会問題 147 情緒安定機能(家族の) 340 消費 354-356,358-363,394-396 消費行動 97 消費行動の総合性 97 消費社会 277,354,361-364,366,371,394,406,410,412,506 消費社会における薬 505 消費社会における幸福と不幸 394 消費社会におけるモノ 359 消費社会の自我像 373 消費社会論 152,354,358,364 消費による幸福 395 消費は言語活動である 361 消費はもはや個人や集団の権威づけの機能だけではない 360 消費はもはやモノの機能的な使用や所有ではない 359 商品コンセプト 365 商品との対話 363 上部構造 164 情報 27-30,228,251,272 情報化社会論 152 情報公開 428,507-508 情報産業 292 情報操作 288,426 情報通信ネットワーク 251 情報としての知識 27-29 情報の移転 228,307 情報のキャッチボール 228-230,236 情報の果たす役割 276 情報非公開 426 情報量概念 228 情報理論 228 昭和天皇 454 初期社会学 157 職業としての社会学者 24 職業役割 205,211 職業労働 73 職場慣行 435 諸個人間の心的相互作用 83,85 叙事詩的演劇 49 女性解放運動→フェミニズム 女性問題 346 女性誘拐 302-304 書籍 249 所属集団 117,323-324 書評 244 処方箋的な知識 115-116 シラケ 409 知らされた上での同意→インフォームド・コンセント 自律性 111,282,499 知る権利 276-277,279,282,508,530 シルバーマン 485,505 城塚登 56,64 素人仲間での参照システム 525 人為的暴力 467 新幹線公害問題 330 信教の自由 379-380,384 シンクレティズム 383 人権の侵害 282,288 信仰 396 信仰による幸福[救い] 395-396 人事慣行[人事労務慣行] 290,325-326 人事考課 323,468 神社 382 人種的偏見 437 心象スケッチ 178 心情 71 心情のない享楽人→信念のない享楽人 新宗教 54,375,383,392-393,396 シーン消費 373 新人 44 新新宗教 35,392-396 人生劇場 196 新・性別役割分担 344 新・性別役割分担と女性の二重役割 344 身体技法 17 身体刑 429-430 身体障害者→障害者 身体接触 237 身体的特徴 238 診断(社会学的) 151-152 診断(医学的) 510 心的相互作用 83,129,159 進藤雄三 102,450,499,510 新都市社会学 107 侵入科学[侵略科学] 11-12,108 真如苑 393 信念 71 信念のない享楽人[心情のない享楽人] 82,319 真の自己 219 信の宗教 393 信憑性構造 39,43,391 新聞 249 新聞裁判 283 新聞利用教育 293 人民寺院 396 ジンメル 12-14,21,44-45,63,79-81,83-86,100,125,129-132,135-137,159,168-169,200-202,204,206,321,376,397,419-420,429,432,535,539 ジンメルの「上位−下位関係」論 419 心理学主義 62,77 神話 40,304,437,447 神話作用 40,43,59 神話もしくは物語の変奏 303  

■す スィンゲドー 391 推定無罪 283 水流ジャーナリズム 283 菅谷裕子 298 菅原眞理子 344,351-352 スキゾ 409 杉之原寿一 341 杉原四郎 106 杉政孝 509 杉森創吉 67 杉山あかし 241 杉山恵美子 349 杉山光信 35,92,302,349 スキャンダリズム 281-282 スケープゴート(化/現象)[スケープゴーティング] 443,450-455,457 鈴木首相 425 鈴木広 104 スタイナー 15 スターリン 169-170,425,452,516 スターリン批判 170 スティグマ 444-449,456-457 スティグマとはなにか 444 ステップ・ファミリー 351 ステレオタイプ[ステロタイプ/紋切り型] 40-41,43-44,48,210,284,429,436,438-439,441-442,449,537,539 ストコフスキー 408 ストライキ 475 ズナニエツキ 86-87,92 砂原茂一 485,510-511,515,520,523-524 スピッカー 444,447 スペクター 148 すべてはすべてに関係している 108 スペンサー 105 角倉一朗 400 スミス 256 スモン患者の役割 501 スモン感染説[ウィルス(感染)説] 487-488,501-503 スモン=キノホルム説 488,490,502 スモン事件 322,329,487-488,503-504 スモン訴訟 488,492,498,504 スモン調査研究協議会 488 スモン被害者の役割変遷 500 スラッシャー 87 諏訪哲二 67,213  

■せ 性 34 西欧音楽の合理化 399 西欧に特有の合理化 398-399 西欧文化中心主義 53 性格類型 205 生活慣習としての宗教 381-382 生活史法 92-93 生活者の視角 29 生活世界 85,161-162,270,319 生活保護 69 生起としての社会 83,85 世紀の転換期の社会学 107,157,159,168 世紀の転換期の社会学の受容の問題 168 政教一致 379 性行為 469 制裁→サンクション 政治宣伝→プロパガンダ 政治的非協力 476 政治犯罪 68 正常と異常 135-136 精神 235,237 精神障害者 512 成人−成人モデル 523-524,526 精神のない専門家 82,319 成人のパーソナリティの安定化 342 精神病[精神疾患] 69,189,433,513,517 成人病 512 政策科学 27 政策的関心 138-139,151 生態学 29 生態学系の社会概念 10 生長の家 392 性的機能(家族の) 339-340 制度 55,62 正当化機能 149 正当性 436,459,462,464,480-481,516 正当的支配 124 制度的教団宗教 393 制度的チャネル 307-309 聖なるもの[聖] 384,386-388 青年期 191-192,218 青年文化→若者文化 生の質[クォリティ・オブ・ライフ] 82,102 生物有機体システム 110 生物有機体論的システム概念 110 性別役割分担 39,342-343,347 製薬企業[製薬会社] 492-498,502,504,507 性役割 205,347,435 生理性(薬の) 506 世界劇場 196 世界宗教 52 世界宗教の経済倫理 51 世界像 75 関三雄 199 セグメンテーション 371 世間 173 世俗化 390-391 世俗化論 390 世俗外禁欲 77 世俗内禁欲[現世内禁欲] 73,77,96 積極的平和 467 説得的コミュニケーション 265 世良晃志郎 125,316,319,420 芹沢俊介 375 セリン 465 セルズニック 34 世論→よろん 前科者 43,205 一九七○年代音楽の転回 410 一九二○年代 404 一九八○年代日本の音楽状況 411 選挙 35 専業主婦 343 選挙予測 23 戦後の音楽状況 407 潜在的社会問題 150 センセーショナリズム 281-282 全制的施設 91,318 戦争 462-463 戦争機械 163 戦争・警察・死刑 462 戦争の欠如 467 全体社会 104 全体社会と社会理論 104 全体社会の総合的認識 105-107 全体的社会現象 99 全体的社会的事実 99 全体的認識への志向 104,134 全体的認識と実践的志向 134 選択されるライフスタイルとしての家族 351 選択的解釈過程 210 選択的受容 258-260 選択的接触 259 千田是也 50 戦闘的民主主義 152 線引き 449-450 専門家支配[専門職支配] 498-500,507,526 専門人 316 先有傾向 258,261,263 戦略論 463  

■そ 創価学会 392-393 早期採用者 263 総合社会学 105,157-158,168 総合的認識 103-107 相互作用 100,129-130,199,201,236,308-309,419 相互作用の形式 130 相互作用の媒体(としての役割) 199,218 相互参加の関係 523 相互理解 241-243 総ジャーナリズム状況 263,285-287 創発性 187 双方向コミュニケーション 251 副田義也 446 疎外 142 俗 386 俗信 381 速報性 250 速報第一主義 280 俗流マルクス主義 106 組織 30,312-335,492-494,498 組織医療[チーム医療] 524 組織医療と葛藤構造 524 組織コミュニケーション 228,243 組織社会学 332 組織宗教 393 組織体犯罪 328-330 組織とはなにか 314 組織内の自己規制力 494 組織内の地位・職務 205 組織における役割行動 317 組織の物神化 330 組織犯罪 329 組織文化 327-328,330,436,517 組織への適応 314 組織労働 313 ソシュール 84 即興的につくられるニュース 307 園田恭一 509,512,523 薗田坦 125 薗田稔 40,388 薗田宗人 125 ソンタグ 436 忖度の論理 327 存立構造論 57 存立構造論という問い 56  

■た 第一次社会化 208 第一次宗教ブーム 392-393 第一次集団 341-342 対位法 399 ダイオキシン 17 大学 33,399 〈大学=専門教育〉という図式 33 大学を構成する基本原理 33 大家族待望論 347 「第九」合唱ブーム 412 対抗文化[カウンター・カルチャー] 366 対抗文化の爆発 409 第三次宗教ブーム 375,392-394 大衆 257 大衆社会論 152 大衆操作 24 大正期宗教ブーム 392 対象と主体の一致 22 対内結合と対外閉鎖との同時性 132 対内道徳と対外道徳の二元論 469 ダイナブック 221,368 第二次逸脱 444 第二次社会化 208 第二次宗教ブーム 392-393 大日本製薬 485-486,497 体罰 144 代表 132 大量排除現象 451-452 高儀進 249 高木久雄 404 高杉晋吾 496,498 高橋名人 300 高野哲夫 484-485,487,489-491,504 高畠文夫 80 高原宏平 404 高柳先男 463 滝沢正樹 160,187,206,232 宅配制 250 ダグラス・グラマン疑惑 451 武市英雄 269 竹内郁郎 223,249,253,257,262,276 竹下首相 451 竹下俊郎 249,262 武田隆夫 106 武田薬品工業 489 竹村喜一郎 15,169 武豊ブーム 368 多元的役割演技者 206 他者[他人] 185-188,190,198-202,227 他者の鏡 185 他者の承認 190,218,502 他者の態度の組織化されたセット 187 他者の反応 235,458 他者の役割を取得する 206 他者理解 22,28 他者類型化 198,200 多重信仰[重層信仰] 383 立花隆 18,94,296,436,458 脱近代→ポストモダン 脱〈近代家族〉化 350 脱産業社会論 152 脱物象化 58-59,218,267 脱物象化の知的可能性 58 脱領域の知性 14-16,18,112,132-133 立岩真也 318 ターナー 209 田中角栄 287 田中吉六 56,64 田中金脈 94,287 田中滋 86,504 田中義久 67,223 田辺製薬 492 谷合規子 489-490 田原総一朗 94 ダブル・スタンダード 469-470 ダブル・バインド 243 田村淑 429 田村善蔵 488 ダーレンドルフ 196 ダンカン 197 弾丸理論 255,261 男性型企業文化 347 談合 322 単親家庭 351 単身赴任家族 351 単身赴任問題 35  

■ち 治安維持法 43,452 地位 196,315-316 小さな神々 392-394 小さな社会 97 小さな物語 357 地位と役割の分化 315 地球家政学 21 筑紫哲也 295 知識 27,275,307,310,507-508,519 知識構成過程 310 知識の社会的配分 507 知識社会学 157,160 秩序としての社会 163 知的コミューン型(大学) 33 知的生産一般 222 知的亡命 46 知の合理化 388-389,393 チバガイギー社 492 チーム医療→組織医療 中央競馬会[JRA] 368 中央薬事審議会 498 中外製薬 497 中間的コミュニケーション 230-231,251-252 中範囲の理論 112,161 長距離結婚 351 調査報道 25,278,282,288,290 聴取スタイルの選択肢の拡大 412 町内会 35 チョムスキー 165 治療 510,513,518 沈黙 238 沈黙のらせん(理論) 263-264,286  

■つ 追随者 260 追跡取材 288 ツィンゲルレ 168,401 通過儀礼 192,381 通念→常識的知識 憑きもの 453 辻勝次 317 対馬路人 392 津地鎮祭訴訟 379 辻村明 276 椿忠雄 488 妻の賃労働者化 344 妻の役割 343 鶴見俊輔 174  

■て 抵抗 55,188,309,318-319,323,432-433,437,454,480,485,518 ディスコミュニケーション[ディスコミ] 240-243,289,338,442 ティップ・オフ 274 テイラー 47 ディンクス→DINKS デカルト 182 デカルト的な自我 183 出口勇蔵 136 テクノクラシー 30 テクノクラート 29-30 テクノロジー 407-408 鉄の檻 82 デノテーション[外示的意義/明示的意味] 365 テープ操作による音楽創造 408 テープ録音技術 408-409 手ぶり 237 デュルケム 11,15-17,48,55-56,61-63,107-108,116,118,135,140,147,159-160,169,174,384,386-387,459 デュルケム学派 108,168 デュルケムとウェーバー問題 61 テーラー・システム 317,319-320 寺谷弘壬 90 寺田篤弘 52,96,400 テレビ 250 電気録音技術 406 天職 71-73,82 天職観念 73,77 天職人 74 伝達 236 伝達過程論 253-254 転轍手 75-76,389 伝統家族 339-340 伝統主義 71 伝統的行為 124 伝統的支配 125,421 天皇報道 286 電報 252 天理教 392-393 電話 229,251  

■と トイレット・ペーパー・パニック 300 動機 65-67,69 動機とはなにか 66 動機の理解 65 動機のリスト 67 東京医薬品工業協会 497 東京化現象 35 同型性 131,396 登校拒否 35 同時代の社会問題に関わる 37,138 同質化 430 同性愛差別 145 統制論 460 闘争 131 同調 141,209 同調競争 454 道徳的十字軍 153 党派学校型(大学) 33 党派形成[派閥形成] 131,321 動物園管理者のロマンティシズム 153 動物学 10 動物行動学 10 動物の社会 10 東邦亜鉛 503 時野谷浩 267 東横神社 379 徳岡秀雄 44 特殊社会学 100 独我論 183 読書行為 249 徳永恂 52,400 匿名報道主義 283 とげぬき地蔵 370 戸坂潤 274,538 都市化現象 303 都市空間 298-299,301,306,369-372 都市空間の記号性 369 都市空間の〈劇場空間〉化 370 都市空間の非合理的なありよう 298 都市社会学 160 都市社会におけるさまざまな意味世界 86 として 198-199 として規定→als規定 都市伝説 297-299,309 都市民俗学 357 土台(唯物史観の公式) 106-107,164 トップ・ダウン方式 327,330 土肥美夫 202 トマス 68,86-87,92 富永健一 11-12,103,211,324-325 富永茂樹 26 友枝敏雄 35,64 共働き 342-346,350 共働き家族 343-344 豊川信用金庫の取り付け騒ぎ 300 豊田勤治 489,497 豊田商事永野会長刺殺事件 285-286 ドライツェル 203 ドラえもん 300 ドラマトゥルギー 166 トランプ 120 鳥越皓之 17 トレンディ志向 366  

■な 内藤莞爾 63,108,123,169,389,420 内部告発 274,323 「ナウ」志向 366 長岡克行 113,422 中河伸俊 148 中川米造 499,510 中嶋明勲 108 中島竜太郎 24,260 中曽根首相 263,347,425 長津美代子 345 中西茂行 52,96,400 中野収 160,174,175,187,206,232,282,300 中野卓 44,93,203 中野敏男 62 中野秀一郎 34,86,111-112,119,131,158,175,197 中野正大 44,86,119,158 中原喜一郎 463 中久郎 106,158 中牧弘允 379,382 中道實 86 仲村祥一 144,175 中村貞二 80,136 中村隆一 510,513,515,519 中山茂 510 那須壽 40,200,405 なぜ〈消費〉が社会学の問題なのか 354 ナタンソン  200 ナチズム[ナチス] 49,169,256,424-425,443,452,470 生瀬克己 521 波平恵美子 513-514 行方均 298 成田康昭 174,363 南京大虐殺 470 なんちゃっておじさん 300  

■に 西尾祐吾 444-445 二次的構成体 200 仁科弥生 192 西原和久 200 西山茂 378-379,382,390,392-393 二重役割 344-345 二十世紀的思考 182,184 ニスベット 174 ニーチェ 80 日常化 250 日常生活 37-41,59 日常生活における類型化 114 日常生活の自明性 37-40,46,211,240 日常生活の自明性を疑う[自明性を疑う] 37,46,48,56-57,169-170,227 日常生活の宗教 57 日常性の崩壊 38 日常知→常識的知識 日常的意識 28 日常的思考→常識的知識 日常的認識と科学的認識 120 日常的ルシクラージュ 362-363 日航ジャンボ機墜落事故 281 日米構造協議 53 日本型「職」生活 343 日本型組織 328 日本語ロック 411 日本社会学会 9 日本人の宗教概念[宗教定義] 380,382 日本人は無宗教か 376 日本的経営 324-327 日本的経営の本質としての集団主義文化 326 日本的集団主義 326-327 日本的集団主義の特質 327 日本の宗教回帰現象 391 日本の障害者概念 522 日本平和学会 468 ニューカム 437 ニュー・シングル 351 入信動機 395 ニュース 307-308,310,373-374 ニュースの一形式としてのうわさ 307 ニュースの広がりのJ曲線 262 ニュースピーク 425 ニュース欲求 308 ニューミュージック 411 ニューヨークタイムズ 283,286 丹羽幸一 529 人間関係 268 人間が社会をつくる 61,85 人間生態学 160 人間相互の関係形式に関する科学(としての社会学) 129-130 人間的コミュニケーション 235 人間と役割の関係 219 人間は社会の産物である 63  

■ぬ  島次郎 394-395 沼田健哉 379,392  

■ね ネオ・マルクス主義 107 ネコバーガー 300 ねたきり 127 ねたきり老人の介護 346 ねつ造 280 ネットワーク組織 334 ネットワーク組織論 333 ネットワーク多様体 334 ネポティズム 321 年中行事 381 年齢役割 205  

■の 脳死 17-18,458,513 能動−受動の関係 523 能力低下 519,521 ノエル−ノイマン 261,264 のどをつまらせたドーベルマン 298 ノーマライゼーション 69,127 野水瑞穂 409 野村昭 437 野村一夫 168,197,241,401,428 ノリ 411 ノンヴァーバル・コミュニケーション 237-240,242 ノンヴァーバル・コミュニケーションの文化的相対性 239  

■は 配偶者特別控除 344 媒介的要因→コミュニケーションの媒介的要因 排除(現象) 430,449-456,470 排除による秩序形成[排除による統合] 449-450,457 媒体→メディア ハイフン社会学 100 俳優 202 培養分析 264,266 ハウザー 45 バーガー,B.34,38,171,387 バーガー,P.L.34,38-40,46-47,58-59,63,146,164,171,197,203,206,387-388 博多駅テレビフィルム提出命令事件 276 芳賀学 396 パーク 87,90,160 パサネラ 137 間宏 327 橋爪貞雄 342 橋爪大三郎 174 橋本正己509 橋渡し機能(社会学の) 103 長谷川公一 34,331 パーソナル・インフルエンス 260 パーソナル・インフルエンス論 257 パーソナル・コミュニケーション 230-231,252,262-263 パーソンズ 110,161,196,515-517 畠中宗一 331 八二年組 414 パック・ジャーナリズム 286 バックレー 111 発見的意義 121 バッハ 400,403,451 はっぴいえんど 411 発表ジャーナリズム 287-288,290 初詣 382 バードウィステル 239 パトグラフィ[病跡学] 180 パートタイム労働者 326 バトラー 447-448 バトル 413 話し方 237 話し手と聞き役の交代のタイミング 238 派閥 131,321 派閥形成→党派形成 ハバーマス[ハーバーマス] 81,104,148,161-162,219,241,289,319,337,399,457 濱口(浜口)恵俊 327-328 濱島朗 123,223 浜名優美 10 浜日出夫 115,203 場面情報 333 早川善次郎 175,300 林進 226,230,262,413,415 林達夫 236 パラダイム 167,510 パラダイム並立の歴史的事情(社会学における) 166 原谷達夫 437 原寿男 279,282-288,293 ハリネズミ 425 バルザック 25 バルト 40,364,370 『春と修羅』序詩に学ぶ 178 パロール 84 バン 120 反抗 409-410 反公害運動 410,503 反抗文化 410 犯罪 54,68,147,329-330 犯罪者[犯人] 43,205,283,285 犯罪的暴力 459-460,462,465-466,480 犯罪(の)抑止力 285,464-465 犯罪は社会の正常な現象である 136 犯罪報道 282-284 反作用 458,504,539 判事 30 反省規定 418 反省作用 237,241 反省的知識 28,30,289,539 反省的なメカニズム 235 反省能力 428 判断停止→エポケー 判定者としての科学者 504 バンドブーム 412 バンドワゴン効果 23 反文化相対主義 53 反ユダヤ主義 169,443  

■ひ ピアノ 401,404,406,412 被害者(の役割) 205,502-504 被害者による主体的な社会運動 503 比較 430 比較社会学 11,50,54 比較社会学的構想力 52 皮下注射効果モデル 255 樋口恵子 346 樋口祐子 34,38,171,387 非言語的コミュニケーション→ノンヴァーバル・コミュニケーション 非行 54,67-68,88 非合理性 393,401 非合理的な心性 299 庇護されるべき子ども 51 非婚 351 非常時 39 非人格性 316 非親族の排除 350 非生産性の神話(老人の) 447 日高敏隆 10 ビーチボーイズ 408 ビックリマンチョコレート 356-357,362 非統制的参与観察 89 ビートたけし 282 一人二役問題 498 ビートルズ 408,410 人と人とのつながりの多層性 312 ひとのみち 392 ヒトラー 49,256,452 非日常性 250 非日常的資質[能力] 385-387,421 日野原重明 509 批判的読者・視聴者になるために 295 批判理論 157,160 批評 26 非暴力的介入 478 非暴力的行動 470 非暴力的行動の意義 470 非暴力的行動の技術 471,479 非暴力的抗議と説得 471 非暴力的社会運動 481 秘密 132 秘密結社 132 秘密のインフレ 277 非目的性 111 日雇い労働者 54 百科全書的社会学 105 桧山睦郎 412 ピュタゴラス・コンマの問題 400 ヒューマン・ストーリー主義 281 ヒューマン・ドキュメント 86 ピューリタニズム 72,96 ビューロクラシー[官僚制] 316-320,335,420 ビューロクラシーとはなにか 316 病院 17,91,97,99,101-102,130,191,313,318-319,430,495,512,516-517,528-529 病院の組織文化 517 病院のなかのコミュニケーション 99,230 病気[疾患] 101-102,126-128,440,445,504,513 病気と患者の分離 511 病気と健康→健康と病気 病気と障害の混同 514 病気のメタファー 425,436 病者役割[病人役割] 102,205,515-520,526 病者役割の二次的利得 517 表情 235-237,239,242-243 表明されない宗教心 377 病理→社会病理 平井俊彦 81,104,399 平澤正夫 485 平瀬課長 497 平田寛 236 平野竜一 493 廣井脩 300 広瀬道貞 279 廣松渉 184  

■ふ ファシズム 157-158,167,424 ブーアスティン 175 不安と焦燥 118 夫婦別姓 351 フェミニズム[女性解放運動] 345,410 フェラロッティ 534 フォイエルバッハ 183-184 フォークロア 304 フォーマルな組織 320,323,328,497 フォロワー→追随者 深澤健次 203 普及過程研究 263 布教 382 福井和美 10 福井憲彦 432 副言語 238-239 複合影響説(マス・メディアの) 261-262,265 複合概念としての社会概念 162 副作用 489,491,506-507 福沢諭吉 173 福祉機能(家族の)[保健医療機能] 340-341,346 福島章 180 服従者 131 服従者の自発性と協力 420 服従者の服従意欲 420,422,480 複製技術 404,406 複製技術時代 404-406,408 複製技術時代の芸術作品 405 服装 55,238 福田敏彦 373 福地源一郎 173 不敬罪 452 フーコー 349,429-433 不幸 395 不幸のかたち 118 不幸の個別化 395 父子家庭 351 藤澤賢一郎 15,169,241 藤沢薬品 497 藤竹暁 300 藤田富雄 381 布施晶子 344-345,347 〈舞台=劇場空間〉としての都市空間の演出 370 不沈空母 425 フック 425 物質性(薬の) 506 物象化 58-59,63,82,84,142,197,218-219,267,318 物象化された意識 59 物象化的錯視 59,231 物象化の社会学 81 物理的世界と社会的世界のちがい 278,505 物理的暴力 470 不登校[不登校者] 39,68 ブートゥール 463 船津衛 187 船橋晴俊 330-332 ブーニン 413 ブハーリン 169-170 部品修理的医療 511 普遍宗教 380-382 フーブリヒト 81,104,399 部分社会 97,99 部分社会の総合性 99 部分の自律性 111 ブーメラン効果 259 フライデー 282 プライバシー 528,530 プライバシーと人権の侵害 282 ブラウン 267 ブラムラー 267 フランクフルト学派 160,169,397 フランクリン 71 フリードソン 499,524 フリーマン 509,517,523 古城利明 67 ブルデュー 64 古野清人 386 プルバーグ 59,63,197 ブルーム,D.H. 34 ブルーム,L. 34 ブルンヴァン 298 プレイ志向 412 プレストライアル 283 ブレヒト 49-50,398 ブレヒトの異化効果 49 フレームアップ 443 プロセスとしての社会 164 プロセスとしての社会生活 513-514 プロセスとしての社会問題 147 プロテスタンティズム 52,72,390 プロテスタント 72-73,77,116,433 プロパガンダ[政治宣伝] 256,265 フロム 169,175 「プロ倫」の教訓 95 プロレス論 40 文化 81 文化規範説 264,266 文学社会学 25-26 分科社会学 100,107 文化接触 59 文化相対主義 53-54 文化的逸脱論 460 文化の悲劇 79-81 文化批判の理論 160  

■へ 平穏の神話(老人の) 448 平均律 400-401 ペイジ 409 ベイトソン 243 ベイルズ 342 平和学 466-467 平和研究 466-467 平和研究における平和概念 465 平和主義 471 ベッカー 90,153,440 別姓結婚 351 ベトナム戦争 17 ベトナム戦争反対運動 410 ベートーベン 403 ペニシリン・ショック 490 ペルソナ 195 ベレルソン 257 変改(効果) 258 偏見 128,436-438,441-442,447-449,504 弁証法 64 変体少女文字 222 ベンディックス 62 ベンヤミン 169,397,404-406  

■ほ ホイジンガ 174 ボーイフレンドの死 298 防衛費GNP1%突破 263 傍観者(の役割) 205,216,504 宝月誠 44,86,88-89,119,158,329-330,458-461,484,488,493-496,501,503-504 法人 319,329 法侵犯 329 法則構造論 57 報道規制 287 報道におけるタブー 375 報道の自由 277 報道被害 293 暴力 422,428,458-481 暴力的悪としての権力 428 暴力とはなにか 458 暴力の欠如 467 暴力のコミュニケーション論的解読 461 暴力のサブカルチャー[暴力に好意的なサブカルチャー] 460-461 暴力のダブル・スタンダード 469-470 暴力の多面性 459 暴力の定義 458-459 補強(効果) 258,261 ホグベン 174,236 ボケの神話 448 保健医療機能(家族の)→福祉機能 保坂正康 82 母子家庭 351 星野克美 365-366,370 保守化傾向 392,426 補助的チャネル 307-308 ホスト−端末 251 ポストマン 305 ポストモダン[脱近代] 404 細川周平 406,409,412 細見英 106 細谷昴 107 堀田輝明 202 ボトム・アップ方式 327 ポトラッチ 361 ボードリヤール 358,361-362,364,368 ボードリヤールの消費社会論 358 ポーピッツ 199-200 ポピュラー音楽 407-408,411 ホボ 119-120 ホメイニ 391 ホームガード 120 ホームレス 89,119 ホメオスタシス 163 ホランダー 523 ポーランド農民 86 堀江邦夫 94 ホール 107 ホルクハイマー 169 ホロコースト 452 ホロビッツ 67,142 ホワイト 90 ホワイト・カラーの犯罪 493 本源的社会性の公準 15-16,18,185 本多勝一 94,295,375 本田靖春 306 本能 10 本間康平 67,142 翻訳語としての「社会」 173  

■ま 毎日新聞 281,294 牧口一二 521 真木悠介 54,57-58 マクウェール 226,230,237,249,253,262,267,269 マクルーハン 249 マクレラン 106 負け犬の立場 153 まじめ 409 魔女狩り 451 マスオさん現象 351 マスコミ 252,272 マスコミ研究の諸分野 253 マスコミとジャーナリズム 272 マスコミ批判 281-282 マス・コミュニケーション 230-231,243,252,272-273,307-308 マス・コミュニケーションの中継機能 260 マス・コミュニケーションの特質 252 マス・コミュニケーションの媒介的要因[媒介的要因] 258,261 増田通二 371 まず排除ありき 456 マス・メディア 252,272,424,428,440 マス・メディアの影響 254-255,266,270 マス・メディアの影響は絶大か 254 マス・メディアの物神化→メディアの物神性 マス・メディアの〈利用と満足〉 267 町村敬志 87,160 松井秀親 136 松岡保 106 マッカーサー 301 マッカーシズム 452 松木修二郎 226,269 松坂慶子 300 松島浄 26 松田聖子・神田正輝結婚(報道) 286 松谷みよこ 299 松戸女性殺人事件 294 松村一人 184 松村健生 424 松本通晴 392-393 祭 370,381 マートン 24,112,150-152,161,213,256,260 まなざしの地獄 93 間庭充幸 304,453-454,459,470 真光系教団 393 継家族 351 マーラー・ブーム 413-414 マリアンネ夫人 123 マリオネット→あやつり人形 マリファナ・ユーザー 90 丸尾定 256 マルクス 56-58,64,105-107,134-135,142,160-161,164,167-169,183-184,418,426,539 マルクス主義 96,106-107,161,167,170 マルクス主義的権力観 428-429 マルクス初期草稿・中期草稿の発見 167 マルクーゼ 169 丸山ワクチン問題 498 マンガの性描写 144 慢性疾患 512-513,515,517,519-520,522-523,526 慢性疾患患者 54,518 萬成博 437 マンハイム 93,100,152,160,169  

■み 見えない権力 430-431,454 見えない宗教 391 三上俊治 249,262 未完のプロジェクト 289 ミクロとマクロをつなぐこと 103 ミシュレ 451 水野課長 497 水野節夫 34,46,203,262 水野肇 513,530 水野博介 249 水巻中正 497 見せびらかしの消費→誇示的消費 みそぎ研修 379 見田宗介 25-26,93,117,119,178,182,223 ミッツマン 80-81 三菱稲荷 379 ミード 160,186-188,206-207,232-235,237,241,539 御堂岡潔 45,239 水俣病 453 南博 236 身上相談 117 箕面市忠魂碑訴訟 379 身ぶり 17,233,235-237 身ぶり会話 234 身ぶり会話としてのコミュニケーション 232 身ぶりの意味 234 宮内泰介 492 宮家準 381-382 宮沢賢治 178-182 宮島喬 15-16,48,62,159-160 宮地健次郎 452 宮智宗七 456 宮本孝二 20,34,44 宮本真左彦 485 ミューラー 423,425,427 「見られる権力」から「見る権力」へ 429 ミル 105 ミルズ 67,103-104,112,142,175 民主主義 274-275 民主主義的な権力形成のために必要なこと 427 民主主義と権力のはざまで 274 民主主義と社会学の選択的親和性 170-171 民主主義の前提条件 275 民主的計画 152 民俗宗教[民間信仰] 380-382  

■む ムー 392 無縁 369 無規制状態→アノミー 無広告主義 289 無宗教 31,376-378,383-384 無徴(性) 455 六つの「老人の神話」 447 武藤一雄 125 無文字社会 40 村上直之 90,148,440 村上陽一郎 21,29 村山研一 34,46,203 室井尚 251  

■め 明識 27-32,51,58,147,180,183,273,309,314,378,539 明識としての知識 28 明識の意義 29 明識の科学 59 明治神宮 382 名誉 132 メセナ 414 メディア[媒体/コミュニケーション・メディア] 248-252,338 メディア特性 249,251-252 メディアとはなにか 248 メディアの自己反省 293 メディアの物神性[マス・メディアの物神化] 267,271,297,301-302 メディアはメッセージ 249 メディアミックス 252,414 メリーゴーランドの騎手 215 メルローズ 492  

■も 目的合理性 389 目的合理的行為 123-124 モザイク科学 11-12 モス 17,99,361 望月重信 26 モーツァルト 403 物語 304-305,373 物語型広告 374 物語消費 356-357,374 物語マーケティング 373 モノグラフ 88,92-93,119 モノにまつわる意味 362 模倣 132 モラトリアム 191-192 モラトリアム症候群 192 モラトリアムとしての青年期 191 モラール 321 モラン 10,92,302 森岡弘通 52,399 森川眞規雄 115,203 森重雄 64 森下伸也 20,34,44 森下恒雄 451 森潤 285 森俊太 148 森博 108 森好夫 24,161,260 森東吾 24,15 0,260,437 問診 525 問題家族 143 文部省教育 32  

■や 薬害(問題/事件) 322,329,484-508 薬害告発者 502 薬害の認定 503 薬事行政(制度) 494-496,502 薬理作用 506 役割[社会的役割] 195,199-219,227,271,308,315-316,318,343-345,350,435,460,501-502,516-521,524 役割演技 195,197,202,372 役割概念 195-197 役割概念と役割理論 195 役割概念の定義 203 役割葛藤 212,219,344 役割葛藤と社会学的アンビヴァレンス 210 役割間葛藤 213 役割期待 196,200,210-213,218,519 役割拒否 216 役割距離 215-216,219 役割群 213 役割形成 209,214,218,504 役割形成としての役割取得 209 役割現象 198-203,210-219 役割現象の基本特性 199 役割現象の被媒介過程 197 役割現象論 197-198 役割構造 87 役割行動 317-318 役割取得 206,209-210 役割としての社会的弱者 435 役割内葛藤 213 役割能力 217,219 役割の学習 206,264 役割の修正 519 役割のずれ 214 役割の属性[□□らしさ] 205,207,209,318 役割の奴隷 202 役割の担い手 195 役割の媒体 202 役割のマリオネット 202-203,267 役割の免除 515,518 役割変遷 500-501 役割理論 195-197,515 役割類型 204 矢沢修一郎 111 矢沢澄子 111 安江孝司 34,38,171,387 安川一 34 靖国神社玉串料公金支出違憲訴訟 379-380 安田三郎 324 柳井道夫 256 柳田国男 299,304 柳田邦夫 94,294-295 柳父章 173 柳父圀近 62 山岸健 175 山口県自衛官合し訴訟 379 山口節郎 59,63,197,206,241 山口俊夫 17,361 山口昌男 373,375,452,455,536 山崎正和 363 山田昌弘 34 山田實 226,269 山田雄一 327 山中速人 226,269 山中正剛 226,262,269 山之内製薬 497 山根一眞 222 山本哲士 432 山本泰 93 やらせ 280 やらせリンチ事件 280  

■ゆ 唯物史観[史的唯物論] 106-107,135 唯物史観の公式 106,164 有意性 203-204 有意性領域 203-204 有意味シンボル 235,237 有害 147 有害作用 506 有害図書 144 有閑階級 361 有給休暇の未消化 323 有声身ぶり 235,242 有徴(性) 455-456 歪められたコミュニケーション 423,427,429,442 歪められたコミュニケーションの三形態 423 湯沢雍彦 343,345-346 ユース・カルチャー→若者文化 ユダヤ人 44,88,168-169,302-304,452,470 ユダヤ人社会学者の追放・亡命 169 ユーミン 411  

■よ 養護学校 69 幼女連続誘拐殺人事件 281,283 抑揚 237-238 予見するために見る 134 予言の自己成就→自己成就的予言 横浜浮浪者襲撃事件[横浜浮浪者殺人事件] 454,470 吉井篤子 413,415 好井裕明 160 吉崎道夫 400 吉田民人 35,145,325,396 吉富製薬 489 吉原和男 392 吉原直樹 107 吉見俊哉 372-373 嘉目克彦 82,517 四畳半フォーク 411 よそ者→異邦人 よそ者の解釈学的効果 45 よそよそしい組織という経験 312 予定説 72 米沢和彦 82,517 米林喜男 509,512,523 予防接種効果 263 読売新聞 281 読売新聞大阪社会部 94 世論形成 249,274,503 世論操作 287,423 世論調査 23-24 世論調査による選挙予測 23  

■ら ライサ夫人 170 ライト 463 ライフスタイル 394,526 ライフスタイル意識 342 ライフスタイルとしての家族 350 ラザースフェルド 137,169,257,260 ラジオ 250-251,404,406-407 らしさ→役割の属性 ラスウェル 265 ラスウェル図式 265 ランガージュ 84 ラング 84-85  

■り リー 485,505 理解 22,76 理解社会学 69,76-77,157,159 利害 75 リクルート事件 278,451 理想状態としてのコミュニケーション 240 リゾート法 263 リーダー 509 離脱の神話(老人の) 448 立正佼成会 392-393 リップマン 174,438-439,443 リテラシー 249-250 リード 94 理念 75-76,272-273 理念から現実へ(ジャーナリズムの) 279 理念型 121-128,200,421,516-517,524 理念という転轍手 76 理念と利害 75 理念によって構成される社会領域 273 リハビリテーション 514 リハビリテーション医学 515 リファレンス・グループ→準拠集団 流言→うわさ 流言の発生量 305 流動的推移の論理 125-126 両義性→アンビヴァレンス 〈利用と満足〉研究 267 理論的根拠としての正当性根拠のほりくずし 479 理論的実践 138 理論と実践 138 稟議制度 325,327 臨場性 250 臨床的関心 138-139,151,192  

■る 類型化 114-121,198-199,203,267,441,443,471 類型化図式 115,119-120,198-204 類型化の役割 125,129 類型的理念型[社会学的理念型] 123,125 累積された事なかれ主義 332 ルカーチ 170 ルシクラージュ→日常的ルシクラージュ ルーズヴェルト 256 ルター 72 ルックマン 59,63,164,206,391 ルポルタージュ 90,92-93,94 ルーマン 113,241,422  

■れ 霊−術系宗教 393 レイツ 137 霊能者 393 レイベリング 141-142,440-442,449,460-461 霊友会 392 レイン 189-190 レヴァイン 509 レーヴィト[レーヴィット] 198 歴史化 50-51,398,539 歴史社会学 10-11,50,390,401 歴史的理念型→個性的理念型 レコード 406 レジャーランド型(大学) 33 レッドパージ→アカ狩り レーニン 170 レポートの書き方 220 レポートの基本としての書評 244 恋愛結婚 349 連字符社会学 12,100-103 連字符社会学の構想と現状 100 連帯 369 レンツ(警告/報告) 485-486,497  

■ろ 老人(の役割) 205 老人医療 127,515 老人性疾患 512-513,517,519,526 老人の介護 346 老人問題 346 労働組合 333,379,453,468 浪費 360 ロシア型マルクス主義 ロシア正教会 72 ロス疑惑(報道) 286 ロッキード事件 287 ロック 410-411 ロート 62 ロービア 452 ローマ・カトリック教会 72 ロマンティシズム 153,481 ローリングストーンズ 410 論文試験 336-338  

■わ 和音和声法 399 ワーカホリック 322 若者文化[ユース・カルチャー/青年文化] 407-410 若者文化の変遷 409 脇圭平 159,316,462 ワシントン・ポスト 278,290,293-294,485 ワース 88 和声音楽 399-400 和田移植 458 わたくしといふ現象 179-180,218 「わたくし」とはなにか 180 〈私〉探しゲーム 363 「わたしはわたしだ」という思い 188 渡辺潤 249,251,412 渡部光 200 渡辺裕 401-402,406-407,409 渡辺雅子 392 渡辺守章 431 ワープロ/パソコンによる知的生産 221 われ思う、ゆえにわれあり 182-183 湾岸戦争 458 湾岸戦争報道 286  

■A−Z als規定[として規定] 198 CI[コーポレイト・アイデンティティ] 328 CMソング 413 DINKS[ディンクス] 340,351 FDA 485,489 GHQ 388 GLA系教団 393 I→主我 Iとmeの対話→主我と客我の対話のプロセス me→客我 M字型就労 343 PL教団 392 society 173 WHO[世界保健機構] 520 

2022年1月17日月曜日

『リフレクション』 あとがき

野村一夫『リフレクション──社会学的な感受性へ』
あとがき

社会学、わたしたちはなぜ学ぶのだろう。

社会学、わたしたちはなぜ教えるのだろう。

これが本書で追求したかった基本的な疑問である。何のために社会学を学ぶのか。これまで社会学内部においてこの疑問はしばしば素通りされてきたように思う。少なくとも初学者が納得するような十分な説明がなされることなく、この問いは野ざらしにされてきたのではなかろうか。わたしにはそれが不満でならなかった。ときおり耳にする社会学の不評は、おそらくここらあたりに起因するのではないかと思う。とりわけ大学の一般教育科目(「大綱化」以降は「総合科目」などと名称が変わることが多いようだが)としては、受講者側に単位取得以外の動機がなく、しかも教員側も「学ぶ意味」について積極的かつ明確に提示できないという状況がしばしば存在する。

わたし自身も悩んできた。しかし今では、本論でさまざまに論じてきたように、社会学を学ぶ意味は──そして社会学研究の意味も──「反省」にあると考えている。

「反省」ということば、すでに世間では「サルでもできる」として、ほとんど陳腐なことばになってしまっている。なるほど今日では何か薄っぺらな印象さえあるし、もともと堅物教師的な押しつけがましさをもっている。社会学においても、多くの優れた理論構築が存在するにもかかわらず、一般的には──つまりこの概念に特別の理論的意義を見いだしていない研究者にとっては──すでに「ネコも杓子も」という感のある概念である。多くの人びとが特定のことばに何かしらの期待をこめて多用してしまうとき、そのことばの陳腐化もまた早い。「反省」ということばもまたそのプロセスにある。そのため識者のなかには本書の論旨に対して一種のスノビズムを感じ取る方がいるかもしれない。

しかし、それでもわたしは、まだこのことばにこだわっている。

たしかに社会学は、社会的現実の内実を不透明にする権力作用に抵抗するという意味において「万年野党」であり、社会的現実を生産するさまざまな職業的理念から距離をとる点では「無責任な傍観者」であり、科学的知見によって社会的現実を技術的に操作しようとしない点で「後ろ向き」にさえ見える。それゆえ人びとは──一般の人も実務家も隣接分野の専門家も──社会学を「役に立たない」非処方箋的でペダンティックな学問と決めつけがちである。「もっと役に立つ知識を!」というわけだ。しかし「反省」は「役に立つ」という価値基準そのものを問うことである。「役に立たないものは意味がない」という考え方そのものの意味を問い直すことである。社会学が理念的な意味での「市民(ブルジョアではなくシティズン)の社会」にとって不可欠な認識装置であるといえるのは、まさにこのような「反省」の触媒となる経験科学だからである。

本書では、このような社会学の思想的意義について、あるいはさらに大それたいい方が許されるならば、社会学の理念についてあらためて考察してきた。これをきっかけに読者の方々に社会学的な感受性の芽を自覚していただき、みずから意識的に反省能力を高めていくことを媒介にして、結果的に社会が反省的に変わっていく──本書がめざしているのは、このプロセスである。これはわたしが身のほど知らずなくらい欲ばりなだけでなく、それ自体、リフレクションの効果なのである。そして社会学が総体としてめざしているのも、結局、この反省的なプロセスなのだと思う。

しばしば社会学者が口にする「社会学のおもしろさ」もここにある。「社会学のおもしろさ」とは、じつは自分を知る喜びのことなのだ。「自分」といっても肉体的に限定された「自分」ではなく、自分の家族や所属する集団・組織・地域そしてかかわりのある他者を「社会的身体」とする「自分」のことである。複雑化した現代社会において、このような「自分の世界」を知るのは容易ではないが、それだけにそれを知る充足も大きいはずである。社会学者とは、このような蜜の味を知った者のことである。この蜜の味は分かちあわなければならない。

というわけで、この本の主張は「反省しよう」ということにつきる。しかし、そのプロセスはとても複雑である。そこで本書を構成するにあたって心がけたことは、これまで社会学と縁のなかった一般読者の方々にも理解していただけるよう、なるべく構図を単純化して説明を構成することだった。とくに、キー・コンセプトである「リフレクション」概念を、用語法として許されるであろうと思われる限界まで意味内容を拡張し、すべての議論がそこに還ってゆくような構造原理として設定した。そのために、理論的にはかなり甘いものになってしまったことは認めざるをえないし、リフレクション概念の内容が必ずしも一義的でないことも承知している(「リフレクション」の多様な意味内容をそれぞれ別の諸概念に仕分けることは可能だが、かえって議論が繁雑になってしまう)。概念を拡張的にふくらませて最小公倍数(最大公約数でさえない!)をとるような仕方で収れんさせないかぎり、全体像を一冊の本のなかで描くことはもはや不可能である。リフレクション以外の概念についても、わたしは終始このような方法で概念を整理した。そして、これは社会学の概念を「感受概念」(ブルーマー)として生かしてゆきたいという立場のひとつの具体的表現でもあった。この試みが成功しているかどうかは、読者の方々の判断にゆだねたい。

これに関連して付け加えると、なるべく論争的な記述を回避し、あるいはまた、ことさらに「最新」を気取ることも意識的にしていない。なるべく特定の学派的文法で語らないように、なるべくオーソドックスであり穏健であろう、と心がけたつもりである(しかしこれが意外にむずかしい!)。したがって、理論の紹介という点では新しいことはない。むしろ復古的でさえあるかもしれない。人ごとのようにいわせていただけるなら、この本は十年前に書かれていてもおかしくない本である。

というわけで、この本は荒削りな(荒っぽい)本ではあるけれども、その分、読者にとって見通しのよい案内図になっていればいいなと願うばかりである。なお本書でふれた個々のテーマについてさらにくわしい研究状況に興味をお持ちの方は前著『社会学感覚』を参照していただければ幸いである。この本は研究入門的なブックガイドとして役立つはずである。

さて、文化書房博文社の天野義夫さんにお世話になるのは、これで三度目である。『社会学感覚』では、教科書としても使えるようにとの配慮から既存の研究の紹介を優先させたため、全体を統一するわたしなりの理論的観点が後景に退くことになっていただけに、今回のお話はたいへんありがたかった。ふたたびチャンスを与えて下さったことにあらためて感謝しつつ、この小著のなりゆきをお任せしたい。

一九九四年四月二〇日

『リフレクション』 注

野村一夫『リフレクション──社会学的な感受性へ』

凡例

▼文献の表示は次のようになっている。著者名・論文タイトル・所収著書タイトル・訳者名(出版社・発行年)ページ。著書の一部(章や節)を示すときは、著者名・著書タイトル・訳者名(出版社・発行年)項目名とした。

▼引用文の傍点や強調は技術的な理由から省略した。

▼外国人の場合、本文における名前の表記が、訳書における表記と異なる場合がある。

例 ハバーマス、ハーバーマス

▼「前掲書」「前掲訳書」という略記は、同一の章においてくりかえし表記するときにかぎって使用することにし、章が変わると正式に表記しなおすことにした。

▼原則として、原書もしくは初出論文の提示は控え、日本語で読める、なるべく新しい著書を提示した。これらの本は、日本在住の読者であれば、だれでも近隣の公立図書館で入手が可能なはずである(予約制度もしくはリクエスト制度を活用してほしい)。

▼検索しやすいよう、文庫・新書・双書は出版社名の代わりにシリーズ名で表記した。

引用文掲示

●1 ユルゲン・ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論(下)』丸山高司・丸山徳次・厚東洋輔・森田数実・馬場孚瑳江・脇圭平訳(未来社一九八七年)四〇〇ページ。

●2 ロバート・N・ベラー、R・マドセン、S・M・ティプトン、W・M・サリヴァン、A・スウィドラー『心の習慣──アメリカ個人主義のゆくえ』島薗進・中村圭志訳(みすず書房一九九一年)三六四ページ。

●3 『戸坂潤全集』第四巻(勁草書房一九六七年)一五六ページ。

12-1: 序論

●1 消費社会における自我形成に関しては、山崎正和が『柔らかい個人主義の誕生──消費社会の美学』(中公文庫一九八七年)において、現代の購買行動が「商品との対話を通じた一種の自己探究の行動」であると指摘している。九七ページ。また最近では、上野千鶴子が『増補〈私〉探しゲーム──欲望私民社会論』(ちくま学芸文庫一九九二年)において、数ある商品の中からわたしたちが特定のモノを選択することは、表現すべき〈私〉を探すためであることを、さまざまな角度から分析している。一二三ページほか。

●2 ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』今村仁司・塚原史訳(紀伊國屋書店一九七九年)一〇一ページ。

●3 テクノクラートの定義については、梶田孝道『テクノクラシーと社会運動──対抗的相補性の社会学』(東京大学出版会一九八八年)七八ページ。

●4 前掲書四─五ページ。

●5 前掲書六ページ。

●6 栗原彬「市民社会の廃墟から──『心の習慣』と政治改革」『世界』一九九三年一〇月号。

●7 前掲論文四八ページ。

●8 新堀通也『私語研究序説──現代教育への警鐘』(玉川大学出版部一九九二年)。

●9 鷲田小彌太『大学教授になる方法』(青弓社一九九一年)。鷲田小彌太『大学〈自由化〉の時代へ──高度教育社会の到来』(青弓社一九九三年)。桜井邦朋『大学教授──そのあまりに日本的な』(地人書館一九九一年)。桜井邦朋『続大学教授──日々是好日』(地人書館一九九二年)。

●10 新堀通也、前掲書三一─三二ページ。

●11 前掲書。

●12 小此木啓吾『モラトリアム人間の時代』(中公文庫一九八一年)五二ページ。

●13 新堀通也、前掲書一二二─一二六ページ。

●14 税金対策としての法人税脱税の実態については、富岡幸雄「不公正税制」文芸春秋編『日本の論点』(文芸春秋一九九二年)。

●15 過労死弁護団全国連絡会議編『過労死!』(講談社文庫一九九二年)。

●16 大野智也『障害者は、いま』(岩波新書一九八八年)。小笠毅『就職を拒否される若者たち』(岩波ブックレット一九九二年)。

●17 宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』(世界思想社一九八六年)。

●18 たとえば宝月によると、大規模な薬害事件の生じたころの製薬企業は薬事行政や報道などの外部の環境を甘くみていたが、現在はむしろ過敏になっているという。しかもそれらを不当とみなす傾向が強いため、戦略的に対処することが多く、みずからをきびしく律する用意は乏しい。一般に、企業が行政機関の監視や指導や審査能力、あるいは消費者や世論の反作用といった統制環境の能力を低く評価したり、不当とみなす度合が高いほど、企業逸脱に関与する可能性も高まるという。宝月誠編、前掲書一二二ページ。

●19 富家恵海子『院内感染』(河出書房新社一九九〇年)。富家恵海子『院内感染ふたたび』(河出書房新社一九九二年)。

●20 『院内感染ふたたび』七三ページ。

●21 保険薬の場合、それを使用することによって健康保険から病院に支払われる金額と、じっさいのその薬の実売価格とのあいだに差がある。後者の方が安いので、薬を使用することによって生じる薬価差益は、直接、病院の収入になる。当然、単価の高い薬ほど薬価差益が大きいので、病院は高い薬を大量に使うようになる。これが、患者サイドの薬願望と相乗することによって、いわゆる「薬漬け医療」が常態化してきたのである。

●22 『院内感染ふたたび』七三ページ。

●23 『院内感染』一二八ページ。

12-2: 第一章 反省的知識の系譜

●1 A・W・グールドナー『社会学の再生を求めて3』岡田直之ほか訳(新曜社一九七五年)第十三章「社会学者として生きること/自己反省の社会学をめざして」(栗原彬訳)。

●2 前掲訳書二一五ページ。ただし訳文を若干調整した。

●3 ユルゲン・ハーバーマス『イデオロギーとしての技術と科学』長谷川宏訳(紀伊国屋書店一九七〇年)。なお本書本文では「ハバーマス」と表記する。

●4 前掲訳書一六〇ページ。

●5 砂原茂一『医者と患者と病院と』(岩波新書一九八三年)五四ページ以下。

●6 前掲書七三ページ。

●7 山崎章郎『病院で死ぬということ』(主婦の友社一九九〇年)。

●8 佐伯啓思『隠された思考──市場経済のメタフィジックス』(ちくま学芸文庫一九九三年)。

●9 遊戯的知識については、佐伯啓思『産業社会とポスト・モダン』(筑摩書房一九八九年)第二章「遊戯的知識論──ポスト・モダン時代のソフィストたちへ」。

●10 『隠された思考』一六─二〇ページ。

●11 『隠された思考』二二─二三ページ。

●12 村上陽一郎「新たなる《自然》/新たなる《科学》」『エイティーズ[八〇年代全検証]――いま、何がおきているか』(河出書房新社一九九〇年)三一ページ。かれはこの論考で「地球家政学」(global house-keeping)構想を提出している。これは事実上自然科学の社会学化である。

●13 前掲論文三二ページ。

●14 高木仁三郎『巨大事故の時代』(弘文堂一九八九年)。科学者によるものではないが、巨大事故について同じような問題意識をもって集中的かつ反省的に調査したドキュメントとして次の二作を挙げておきたい。柳田邦男『死角──巨大事故の現場』(新潮文庫一九八五年)。吉岡忍『墜落の夏──日航123便事故全報告』(新潮文庫一九八九年)。

●15 これは社会学者チャールズ・ペロウの同名書から採られている。

●16 高木仁三郎、前掲書二〇八ページ。

●17 梶田孝道『テクノクラシーと社会運動──対抗的相補性の社会学』(東京大学出版会一九八八年)一二ページ。

●18 代表的な理論家として今田高俊がいる。その理由については、今田高俊『モダンの脱構築──産業社会のゆくえ』(中公新書一九八七年)二〇七ページ。

●19 ただし他の訳語を用いている研究者の記述を利用するときは、当然そのままである。なお、リフレクション概念に対する本書のとりあつかいの方針については「あとがき」に述べておいた。

●20 ジョージ・ハーバート・ミード『精神・自我・社会――社会的行動主義者の立場から』稲葉三千男・滝沢正樹・中野収訳(青木書店一九七三年)一四二─一四三ページ。このことは訳語解説でも指摘されている。前掲訳書xivページ。

●21 たとえば、エスノメソドロジーでは、reflexivityをかなり独特の用法で使っている。したがって、日本では「相互反映性」「文脈状況再帰性」「循環性」などと、相当熟慮された訳語が発案されている。

●22 「解釈的パラダイム」と呼ばれたり、「理念主義」と呼ばれることもある。富永健一『現代の社会科学者──現代社会科学における実証主義と理念主義』(講談社学術文庫一九九三年)。

●23 反省概念の哲学的経緯とその意義については、ユルゲン・ハーバーマス『認識と関心』奥山・八木橋・渡辺訳(未来社一九八一年)を参照されたい。

●24 ミード、前掲訳書。

●25 ただし、あくまでも、情報そのものが移動するのではないから、これはどのような場合にも近似的なものにすぎない。なお、ブルーマーは「身ぶり会話」の水準を「非シンボリック相互作用」(non-symbolic interaction)と呼び、ミードが「有意味シンボルの使用」と呼んだ反省的な水準を「シンボリック相互作用」(symbolic interaction)と呼ぶ。ハーバート・ブルーマー『シンボリック相互作用論──パースペクティヴと方法』後藤将之訳(勁草書房一九九一年)一〇ページ。

●26 たとえばミードは次のように述べている。「精神は、経験の社会的過程あるいは社会的文脈のなかで、身振り会話によるコミュニケーションをとおして生まれるのであり、コミュニケーションが精神をとおしていとなまれるのではない。」ミード、前掲訳書五六ページ。

●27 ブルーマー、前掲訳書一〇三ページ。

●28 ブルーマー、前掲訳書八一ページ。

●29 アンソニー・ギデンス『社会学の新しい方法規準──理解社会学の共感的批判』松尾精文・藤井達也・小幡正敏訳(而立書房一九八七年)二〇ページ。

●30 ギデンス、前掲訳書二〇ページ。

●31 ミード、前掲訳書三四〇ページ。

●32 前掲訳書三三九ページ。ただし一部修整した。

●33 ユルゲン・ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論(中)』藤沢賢一郎・岩倉正博・徳永恂・平野嘉彦・山口節郎訳(未来社一九八六年)二五三ページ。

●34 カール-オットー・アーペル『哲学の変換』磯江景孜ほか訳(二玄社一九八六年)。

●35 ハーバーマス、前掲訳書一八二ページ。ただし一部の用語法を修整した。

●36 阿閉吉男『ウェーバー社会学の視圏』(勁草書房一九七六年)。「地平」という訳語もあるが、わたしは「視圏」の方が的確だと考えている。なお、この概念は現象学的社会学の重要概念でもある。

12-3: 第二章 行為論の視圏──脱物象化と反省的行為

●1 マス・メディアは非常に高い割合で官公庁の見解をそのまま増幅して伝える。官公庁の見解は基本的に「テクノクラートの視角」からなされているから、それをうのみにすることはジャーナリズムの理念から見て問題がある。これを原寿雄は「発表ジャーナリズム」と呼ぶ。原寿雄『新聞記者の処世術』(晩聲社一九八七年)。

●2 E・ベック=ゲルンスハイム『出生率はなぜ下ったか──ドイツの場合』香川檀訳(勁草書房一九九二年)の訳者による「解説」。なおこの本の本文のドイツの分析は近未来の日本の少子化を考える上で参考になる。「板ばさみ」については、江原由美子『ラディカル・フェミニズム再興』(勁草書房一九九一年)「出生率低下と〈家族の幸福〉」。

●3 森岡清美・望月嵩『新しい家族社会学(三訂版)』(培風館一九九三年)一八六─一九六ページ。

●4 大野智也『障害者は、いま』(岩波新書一九八八年)一〇ページ以下。

●5 M・ナタンソン編『アルフレッド・シュッツ著作集第二巻社会的現実の問題[II]』渡部光・那須壽・西原和久訳(マルジュ社一九八五年)三四─三七ページ。

●6 ウォルター・リップマン『世論』掛川トミ子訳(岩波文庫一九八七年)。 A・C・ザィデルフェルト『クリーシェ――意味と機能の相剋』那須壽訳(筑摩書房一九八六年)。

●7 マルクス、エンゲルス編『資本論(一)』向坂逸郎訳(岩波文庫一九六九年)一二九ページ以下。

●8 マルクス、エンゲルス編『資本論(九)』向坂逸郎訳(岩波文庫一九七〇年)三二ページ。

●9 マックス・ウェーバー『宗教社会学』武藤一雄・薗田宗人・薗田坦訳(創文社一九七六年)。マックス・ウェーバー『支配の諸類型』世良晃志郎訳(創文社一九七〇年)。

●10 デュルケーム『社会分業論』田原音和訳(青木書店一九七一年)八二ページ。ただし命題風に訳し直した。

●11 カール・マルクス『資本論1』岡崎次郎訳(国民文庫一九七二年)一一一ページ。

●12 ロバート・K・マートン『社会理論と社会構造』森東吾・森好夫・金沢実・中島竜太郎訳(みすず書房一九六一年)第十一章。本書ではごく初歩的な説明にとどめざるをえないが、社会現象の特質を理解するにはたいへん重要な現象である。くわしい議論としては、徳岡秀雄『社会病理の分析視角──ラベリング論・再考』(東京大学出版会一九八七年)。

●13 マートン、前掲訳書三八二ページ。

●14 前掲訳書三九〇ページ。ただし若干の用語を改めた。

●15 ランドル・コリンズ『脱常識の社会学──社会の読み方入門』井上俊・磯部卓三訳(岩波書店一九九二年)。

●16 ピーター・バーガー、スタンリー・プルバーグ「物象化と意識の社会学的批判」山口節郎訳、現象学研究会編集『現象学研究2』(せりか書房一九七四年)一一二─一一四ページ。

●17 ブレヒト「実験的演劇について」千田是也訳編『今日の世界は演劇によって再現できるか――ブレヒト演劇論集』(白水社一九六二年)一二三ページ。

●18 梶田孝道『テクノクラシーと社会運動──対抗的相補性の社会学』(東京大学出版会一九八八年)第三章「『新しい社会問題』とテクノクラシー」とくに五九─六三ページ。この問題については、宇沢弘文『「豊かな社会」の貧しさ』(岩波書店一九八九年)「Ⅳ自動車は都市を破壊する」も参照。

●19 マックス・ウェーバー『社会学の基礎概念』阿閉吉男・内藤莞爾訳(恒星社厚生閣一九八七年)四〇ページ。なお、マックス・ウェーバー『理解社会学のカテゴリー』海老原明夫・中野敏男訳(未来社一九九〇年)三八ページも参照。

●20 大鐘武訳編『ジンメル初期社会学論集』(恒星社厚生閣一九八六年)三〇ページ。

●21 P・L・バーガー、T・ルックマン『日常世界の構成──アイデンティティと社会の弁証法』山口節郎訳(新曜社一九七七年)一〇五ページ。

●22 アンソニー・ギデンス『社会学の新しい方法規準──理解社会学の共感的批判』松尾精文・藤井達也・小幡正敏訳(而立書房一九八七年)一四五ページ。

●23 A・ギデンス『社会理論の現代像』宮島喬ほか訳(みすず書房)一二〇ページ。

●24 ノーアム・チョムスキー『言語と精神(新装版)』川本茂雄訳(河出書房新社一九八〇年)一八二ページ。

●25 ウェーバー『社会学の基礎概念』前掲訳書三五ページ以下。

●26 マートン、前掲訳書五八─五九ページ。

●27 マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚久雄訳(岩波文庫一九八九年)前掲訳書一三四ページ。

●28 ゲオルク・ジンメル「文化の概念と悲劇」『文化論』阿閉吉男編訳(文化書房博文社一九八七年)。

●29 今田高俊『自己組織性──社会理論の復活』(創文社一九八六年)。以下の説明はおもに二六四─二七七ページによる。

●30 前掲書二六四ページ。

●31 前掲書二六七ページ。

●32 今田は、これらの行為類型はあくまで分析的なもので、具体的な行為には多かれ少なかれこの三種の行為類型がふくまれていると考えている。要は、どれが前面にでてくるかである。前掲書二六五ページ。

●33 梶田孝道、前掲書六三─六七ページ。

●34 前掲書六三ページ。

12-4: 第三章 知識過程論の視圏──社会はいかにして可能か

●1 ジンメル『社会学──社会化の諸形式についての研究(上巻)』居安正訳(白水社一九九四年)三五〇ページ。

●2 前掲訳書三五二ページ。

●3 前掲訳書三五二ページ。

●4 P・L・バーガー、T・ルックマン『日常世界の構成――アイデンティティと社会の弁証法』山口節郎訳(新曜社一九七七年)二三─二四ページ。

●5 前掲訳書三九ページ。

●6 K・ライター『エスノメソドロジーとは何か』高山眞知子訳(新曜社一九八七年)三─一三ページ参照。また鳥越皓之編『環境問題の社会理論──生活環境主義の立場から』(御茶の水書房一九八九年)三一─三六ページ、八一─八二ページも参照。

●7 アルフレッド・シュッツ『現象学的社会学の応用』中野卓監修・桜井厚訳(御茶の水書房一九八〇年)六─一〇ページ。あるいはA・ブロダーゼン編『アルフレッド・シュッツ著作集第3巻 社会理論の研究』渡部光・那須壽・西原和久訳(マルジュ社一九九一年)一三六─一三八ページ。

●8 ギデンスによる「共有知識」(mutual knowledge)の定義。アンソニー・ギデンス『社会学の新しい方法規準──理解社会学の共感的批判』松尾精文・藤井達也・小幡正敏訳(而立書房一九八七年)一五一─一五二ページ。

●9 前掲訳書一二六ページ。

●10 ジンメル『社会分化論 社会学』居安正訳(青木書店一九七〇年)二〇五─二二七ページ。あるいはジンメル『社会学(上巻)』(一九九四年)三七─五七ページ。ジンメルのこの小論は、社会学内部において必ずしも十分な評価をされてこなかったにもかかわらず、その執筆時期から見ても、その理論的な深みから見ても、あるいはその理論的な展開可能性から見ても、二十世紀の理論社会学共通の始発点となりうる重要な知見がふくまれている。ジンメル研究や役割理論の文脈では論じられることが多い論文で、たとえばハインリヒ・ポーピッツ「社会学理論の構成要素としての社会的役割の概念」J・A・ジャクソン編『役割・人間・社会』浦野和彦・坂田正顕・関三雄訳(梓出版社一九八五年)があるが、それ以外の文献を挙げると、システム論的問題関心に対してはルーマンが、現象学的社会学の問題関心に対してはオニールが、この小論を自説に位置づけている。ニクラス・ルーマン『社会システム理論の視座──その歴史的背景と現代的展開』佐藤勉訳(木鐸社一九八五年)。ジョン・オニール『言語・身体・社会──社会的世界の現象学とマルクス主義』須田朗・財津理・宮武昭訳(新曜社一九八四年)。

●11 ジンメル、前掲訳書(一九七〇年)二〇七ページ。あるいはジンメル、前掲訳書(一九九四年)三九ページ。

●12 前掲訳書(一九七〇年)二一一ページ。あるいはジンメル、前掲訳書(一九九三年)四三ページ。

●13 前者はゲルハルトの呼び方。後者はオニールの呼び方。

●14 ギデンス、前掲訳書一一〇─一一一ページ。

●15 前掲訳書二二一ページ。

●16 佐伯啓思『産業文明とポストモダン』(筑摩書房一九八九年)第三章「政策知識論──大衆社会における知識と政策」。佐伯啓思『「シミュレーション社会」の神話──意味喪失の時代を斬る』(日本経済新聞社一九八八年)第6章にも同様の説明がある。

●17 『産業文明とポストモダン』九四ページ。社会学的にいうと、これは正確には「予言の自己否定」であるが、循環構造そのものはほぼ同一である。

●18 前掲書九五ページ。

●19 前掲書九六ページ。佐伯はここで流行現象についても同じ循環構造を指摘している。「流行という流れの中に写し出された自己イメージが先行し、その集合が現実の世界を作り出してしまう。流行というスペクタクルに浮び上がったモノの記号的イメージが、現実のモノの世界を作り上げてしまう。いずれにせよ、『自己主題化』というメカニズムが現実(リアリティ)を産み出すわけである。」前掲書二〇五ページ。

●20 野村一夫「ジンメルと役割理論――受容史的接近」『社会学史研究』第九号(いなほ書房一九八七年)。なお「役割現象論」という用語はウータ・ゲルハルトにヒントをえた。Uta Gerhardt, Toward a Critical Analysis of Role, in: Social Problems 27(5), June 1980. Uta Gerhart, Georg Simmels Bedeutung fu`r die Geschichte des Rollenbegriffs in der Soziologie, in: Hannes Bo`hringer und Karlfried Gru`nder(Hg.), A`sthetik und Soziologie um die Jahrhundertwende: Georg Simmel, Frankfurt am Main, S.71-83.

●21 カール・レーヴィット『人間存在の倫理』佐々木一義訳(理想社一九六七年)。なお本書では「レーヴィト」と表記する。レーヴィトの「として規定」については、ふたりの日本人哲学者による理論展開が有名である。和辻哲郎『倫理学──人間の学としての倫理学の意義及び方法』岩波講座哲学[概説](岩波書店一九三一年)。『倫理学』上巻(岩波書店一九三七年・改版一九六七年)。廣松渉『世界の共同主観的存在構造』(講談社学術文庫一九九一年)。

●22 引用文はE・ゴッフマン『行為と演技──日常生活における自己呈示』石黒毅訳(誠信書房一九七四年)四ページによる。

●23 C.H.Cooley, Human Nature and the Social Order,1902, p.184.

●24 カール・マルクス『資本論1』岡崎次郎訳(国民文庫一九七二年)一一一ページ。

●25 鶴見俊輔『アメリカ哲学(上)』(講談社学術文庫一九七六年)一八ページ。

●26 ジョージ・ハーバート・ミード『精神・自我・社会――社会的行動主義者の立場から』稲葉三千男・滝沢正樹・中野収訳(青木書店一九七三年)。なお本書が、リフレクションの訳語として「自省」というキレと鮮度のいいことばを採用しないで、「反省」といういささか凡庸で鮮度の悪いことばをあえて使うのも、「反射」「反照」のイメージを残したいからである。「自省」の「自」は「自己」の意味であり、システム論的主体概念が前提されていると考えられるが、わたしはそれよりも主体間に生じる緊張関係を暗示する「反」にひかれる。

●27 E・ゴッフマン『行為と演技──日常生活における自己呈示』石黒毅訳(誠信書房一九七四年)。

●28 ここで「既成の役割理論」と呼んだのは、人類学者ラルフ・リントンの「地位と役割」に準拠した役割理論のことである。代表者としてタルコット・パーソンズとラルフ・ダーレンドルフを挙げておこう。ただし両者はこれを超出する論点をふくんでおり、むしろここであげた三人の役割理論の通俗的受容をさすというべきだろう。

●29 ジンメル「俳優の哲学」『ジンメル著作集11断想』土肥美夫・堀田輝明訳(白水社一九七六年)二七三ページ。なおこの小論は未完の草稿である。

●30 E・ゴッフマン『出会い――相互行為の社会学』佐藤毅・折橋徹彦訳(誠信書房一九八五年)。

●31 前掲訳書一一五ページ。ただし若干修正した。

●32 前掲訳書一一六─一一七ページ。ただし若干の字句を改めた。

●33 ギデンス、前掲訳書二四ページ、四三ページなどによる。

●34 前掲訳書一四ページ。

●35 アンソニー・ギデンス『社会理論の最前線』友枝敏雄・今田高俊・森重雄訳(ハーベスト社一九八九年)五四ページ。

●36 前掲訳書二七六ページ。ただし訳書ではreflexively monitorが「自省的に評価する」となっている。また『社会学の新しい方法規準──理解社会学の共感的批判』の邦訳では「反照的モニター」と訳されている。本書では基本的に「反省」に訳語を統一しているので以下の訳文や説明についても「反省的評価」に統一した。

●37 前掲訳書二七七ページ。

●38 栗岡幹英「薬害被害者の意味世界の諸相」宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』(世界思想社一九八六年)。のちに栗岡幹英『役割行為の社会学』(世界思想社一九九三年)に「薬害被害者の意味世界」として転載。

●39 前掲論文の要約。

●40 ふつう「意識の変化」と呼ばれているのは、基本的には知識の変化と感情の変化であり、両者が不用意に混合されている。「意識の変化」だと、何か心の持ちようで何とでもなるかのような錯覚が与えられてしまう。

12-5: 第四章 権力作用論の視圏──反省を抑圧するコミュニケーション

●1 アンソニー・ギデンス『社会学の新しい方法規準──理解社会学の共感的批判』松尾精文・藤井達也・小幡正敏訳(而立書房一九八七年)一四五ページ。

●2 権力は「産出的」であるというフーコー、権力の「調達」「保障」の機能の重要性を喚起する藤田弘夫の議論を参照。ミシェル・フーコー『性の歴史I知への意志』渡辺守章訳(新潮社一九八六年)。藤田弘夫『都市の論理──権力はなぜ都市を必要とするか』(中公新書一九九三年)。もっとも洗練された社会学的権力論として、ニクラス・ルーマン『権力』長岡克行訳(勁草書房一九八六年)。ただし本書の議論はこれらの研究と必ずしも沿うものではない。

●3 ルーマン、前掲訳書「日本語版への序文」参照。

●4 すぐれたジャーナリストは大なり小なりこの「腹立たしい事実」に直面している。その一例として、鎌田慧『ドキュメント隠された公害──イタイイタイ病を追って』(ちくま文庫一九九一年)。

●5 梶田孝道『テクノクラシーと社会運動──対抗的相補性の社会学』(東京大学出版会一九八八年)五〇─五五ページ。船橋晴俊・長谷川公一・畠中宗一・勝田晴美『新幹線公害――高速文明の社会問題』(有斐閣一九八五年)。舩橋晴俊・長谷川公一・畠中宗一・梶田孝道『高速文明の地域問題──東北新幹線の建設・紛争と社会的影響』(有斐閣一九八八年)。

●6 梶田孝道、前掲書viページ。

●7 船橋晴俊ほか『新幹線公害』七七ページ以下。

●8 前掲書八〇ページ以下。受益圏には圧力集団や利害団体や集約的代弁者としての公的機関(具体的にはテクノクラート)が存在するが、受苦圏には被害者運動組織以外に存在しないこともコミュニケーションを困難にする要素である。梶田孝道、前掲書一一ページ。

●9 近年のジェンダー論では一連の男性論が盛んになっており、男性の方が抑圧が深いという議論がなされている。これはこれで傾聴すべきものをもっているが、ここでは省略する。渡辺恒夫『脱男性の時代』(勁草書房一九八六年)。なお「男らしさのジレンマ」はコマロフスキーの著書名である。M・コマロフスキー『男らしさのジレンマ──性別役割の変化にとまどう大学生の悩み』池上千寿子・福井浅子訳(家政教育社一九八四年)。

●10 ここで「古い」と述べたのは「伝統的」という意味ではなく「一世代か二世代古い」という意味である。一般に性別役割分担は「伝統的」なことと考えられているが、じっさいに庶民レベルにおいてそれが自明化したのは高度経済成長期の一九六〇年代である。つまり、産業界の性別役割分業に対応して家族内の性別役割分担が確立したのである。上野千鶴子『家父長制と資本制――マルクス主義フェミニズムの地平』(岩波書店一九九〇年)一九七ページほか。

●11 江原由美子『フェミニズムと権力作用』(勁草書房一九八八年)。

●12 栗原彬「市民社会の廃墟から──『心の習慣』と政治改革」『世界』一九九三年十月号五四─五五ページ。

●13 江原由美子『女性解放という思想』(勁草書房一九八五年)七八ページ。

●14 前掲書三二ページ。このあと、フェミニズムの場合それが家父長制であると指摘する。

●15 間庭充幸『日本的集団の社会学――包摂と排斥の構造』(河出書房新社一九九〇年)一三一ページ。

●16 熊沢誠『新編 民主主義は工場の門前で立ちすくむ』(現代教養文庫一九九三年)二三─二九ページ。熊沢誠『日本的経営の明暗』(筑摩書房一九八九年)も参照されたい。

●17 熊沢誠『新編 民主主義は工場の門前で立ちすくむ』五九─六〇ページ。

●18 前掲書。

●19 間庭充幸、前掲書五一ページ。

●20 「構造的暴力」概念については、ヨハン・ガルトゥング『構造的暴力と平和』高柳光男・塩屋保・酒井由美子訳(中央大学出版部一九九一年)。

●21 森田洋司「いじめの四層構造論」『現代のエスプリ』二二八号「いじめ・家庭と学校のはざまで」特集。

●22 森田洋司、前掲論文。

●23 森田洋司「いじめに四層構造」『朝日新聞』東京本社版一九九一年四月六日付夕刊4版。

●24 徳岡秀雄『社会病理への分析視角──ラベリング論・再考』(東京大学出版会一九八七年)一八二ページ。

●25 「正常」についての古典的議論としては、デュルケム『社会学的方法の規準』宮島喬訳(岩波文庫一九七八年)。

●26 ジンメル『社会分化論 社会学』居安正訳(青木書店一九七〇年)。ジンメル『社会学──社会化の諸形式についての研究(上)』居安正訳(白水社一九九四年)。マックス・ウェーバー『社会学の基礎概念』阿閉吉男・内藤莞爾訳(恒星社厚生閣一九八七年)。マックス・ウェーバー『支配の諸類型』世良晃志郎訳(創文社一九七〇年)。

●27 カール・マルクス『資本論1』岡崎次郎訳(国民文庫一九七二年)一一一ページ。

●28 ミシェル・フーコー『性の歴史I知への意志』渡辺守章訳(新潮社一九八六年)一二一-一二四ページ。たいへん乱暴ないい方をすれば、ここで問題とされている「権力作用」は、かつてウェーバーが「規律」(Disziplin)と呼び、「価値の内面化」を重視したパーソンズが「社会システム」(social system)と呼んだものである。ただ、ウェーバーの場合は「他人の抵抗を排してでも」という権力概念の定義の方がひとり歩きしてしまい、パーソンズはそれを社会のすべてと見なしてしまって批判を招いてしまった。フーコーはそれに当たるものをまったく別の知的領域で新たに「産出的な権力」として議論したのである。それ以降、現代社会学ではエスノメソドロジーが注目していたこともあって、現在このように「権力作用」として感受されるようになったのである。なお、フーコーの権力論の位置づけについてはさまざまな捉え方があり、異論も生じやすいと思われるが、この点については次のものを参照されたい。アクセル・ホネット『権力の批判──批判的社会理論の新たな地平』河上倫逸監訳(法政大学出版局一九九二年)第六章。

●29 アンソニー・ギデンス『社会理論の最前線』友枝敏雄・今田高俊・森重雄訳(ハーベスト社一九八九年)三三ページ。

●30 C・ライト・ミルズ『社会学的想像力』鈴木広訳(紀伊国屋書店一九六五年)五五─五六ページ。

●31 栗原彬、前掲論文。

●32 デニス・マクウェール『コミュニケーションの社会学――その理論と今日的状況』山中正剛監訳、武市英雄・松木修二郎・山田實・山中速人訳(川島書店一九七九年)一五ページ以下。

●33 野村一夫「社会学的反省の理論としてのジャーナリズム論」『新聞学評論』第三六号(日本新聞学会一九八七年)。

●34 クラウス・ミューラー『政治と言語』辻村明・松村健生訳(東京創元社一九七八年)。

●35 前掲訳書三〇ページ。

●36 前掲訳書三〇ページ。

●37 前掲訳書六一ページ以下。

●38 前掲訳書三〇ページ。

●39 前掲訳書一一六ページ。

●40 グレン・フック『軍事化から非軍事化へ――平和研究の視座に立って』(御茶の水書房一九八六年)二一ページ。

●41 前掲書三三ページ。

●42 清水義範『国語入試問題必勝法』(講談社文庫一九九〇年)。これはパロディというより、かぎりなく実態に近い小説である。

●43 J・T・クラッパー『マス・コミュニケーションの効果』NHK放送学研究室訳(日本放送協会一九六六年)。

●44 日本でこの呼び方が流通したのはエリーザベト・ノエル-ノイマンの日本での講演論文「強力なマス・メディアという概念への回帰」の影響が大きい。E.Noelle-Neumann, Return to the Concept of Powerful Mass Media, Studies of Broadcasting 9, 1973.

●45 マクウェール『マス・コミュニケーションの理論』竹内郁郎・三上俊治・竹下俊郎・水野博介訳(新曜社一九八五年)。児島和人『マス・コミュニケーション受容理論の展開』(東京大学出版会一九九三年)。入門的なものとして田崎篤郎・児島和人編著『マス・コミュニケーション効果研究の展開』(北樹出版一九九二年)。

12-6: 第五章 コミュニケーション論の視圏──〈反省する社会〉の構造原理

●1 ジョージ・ハーバート・ミード『精神・自我・社会――社会的行動主義者の立場から』稲葉三千男・滝沢正樹・中野収訳(青木書店一九七三年)三三九─三四〇ページ。ただし一部訳注を省略。

●2 前掲訳書三三九─三四〇ページ。

●3 前掲訳書二九七ページ。

●4 小谷敏「G・H・ミードとアメリカ社会──『等質性のユートピア』を超えて」片桐雅隆編『意味と日常世界──シンボリック・インタラクショニズムの社会学』(世界思想社一九八九年)。

●5 吉見俊哉・若林幹夫・水越伸『メディアとしての電話』(弘文堂一九九二年)。

●6 ミード、前掲訳書三三九ページ。

●7 小谷敏、前掲論文一四ページ。

●8 『長谷川如是閑選集』第四巻(栗田出版会一九七〇年)三九九ページ。

●9 A・W・グールドナー『社会学のために(上)』村井忠政訳(杉山書店一九八七年)。カール-オットー・アーペル『哲学の変換』磯江景孜ほか訳(二玄社一九八六年)。ハーバーマス「コミュニケーション能力の理論のための予備的考察」ユルゲン・ハーバーマス、ニクラス・ルーマン『ハーバーマス=ルーマン論争/批判理論と社会システム論』佐藤嘉一・山口節郎・藤沢賢一郎訳(木鐸社一九八四年)。ユルゲン・ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論(中)』藤沢賢一郎・岩倉正博・徳永恂・平野嘉彦・山口節郎訳(未来社一九八六年)。

●10 ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論(中)』二二─二三ページ。

●11 ハバーマスはいたるところで「了解は目的因(テロス)として人間の言語に内在している」と述べている。前掲訳書二四ページ。

●12 ハーバーマス「予備的考察」一六八ページ。

●13 ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論(中)』四七ページの「水を一杯もって来てくれないか」の例を参照してつくった。

●14 その悲劇的な一事例として、稲葉哲郎『裁判官の論理を問う──社会科学者の視点から』(朝日文庫一九九二年)。コミュニケーションとしての裁判過程については、なお述べたいことがあるが、ここでは紙幅の余裕がない。かわりにふたつの著作を紹介しておきたい。栗岡幹英『役割行為の社会学』(世界思想社一九九三年)。樫村志郎『「もめごと」の法社会学』(弘文堂一九八九年)。

●15 船橋晴俊「『公共性』と被害者救済との対立をどう解決するか」船橋晴俊・長谷川公一・畠中宗一・勝田晴美『新幹線公害――高速文明の社会問題』(有斐閣一九八五年)二三九─二四八ページ。

●16 花田達朗「空間概念としてのO`ffentlichkeit──ハーバーマスにおける公共圏とコミュニケーション的合理性」『ソシオロジカ』一五巻二号(一九九一年)。花田達朗「公的意味空間論ノート」『新聞学評論』四〇号(日本新聞学会一九九一年)。花田達朗「公共圏と市民社会の構図」岩波講座社会科学の方法第八巻『システムと生活世界』(岩波書店一九九三年)。

●17 ハーバーマス『公共性の構造転換』細谷貞雄訳(未来社一九七三年)。この訳書でいう「公共性」(O`ffentlichkeit)は基本的に「公共圏」のことである。したがって「公共性」を「公共圏」に置き換えて読むと論旨がすっきりするケースが多い。たとえば「われわれは私生活圏と公共性という区別を立てる」(前掲訳書五〇ページ)といった一節もこの置き換えなしには理解しにくい。この点に関しては、空間概念として解釈する花田達朗の前掲論文から大きな示唆をえた。なお、市民的公共圏をめぐるハバーマスの理論については、花田達朗の前掲諸論文ならびに斎藤純一「政治的公共性の再生をめぐって──アーレントとハーバーマス」藤原保信・三島憲一・木前利秋編著『ハーバーマスと現代』(新評論一九八七年)。横田栄一『市民的公共性の理念──カント―ファイヤーアーベント―アーペル―ハーバーマス』(青弓社一九八六年)。佐藤慶幸「対話的コミュニケーション行為と公共性──ハーバーマス理論を中心に」田野崎昭夫・広瀬英彦・林茂樹編『現代社会とコミュニケーションの理論』(勁草書房一九八八年)。この分野の古典として、ハンナ・アレント『人間の条件』志水速雄訳(中央公論社一九七三年)。

●18 ハーバーマス、前掲訳書五六─五七ページ。

●19 ハーバーマス、前掲訳書二三四ページ。

●20 L・コーザー『知識人と社会』高橋徹監訳(培風館一九七〇年)。

●21 前掲訳書二二ページ。

●22 ハーバーマス、前掲訳書一五ページ。ただし一部修整した。ここで「われわれの社会」といわれているのは「近代社会」のことである。市民的公共圏の理念は近代特有のものである。

●23 木前利秋「システムと生活世界──偶発性の社会学」岩波講座社会科学の方法第八巻『システムと生活世界』(岩波書店一九九三年)三〇ページ以下。

●24 ハーバーマス、前掲訳書一一六ページ。ただし「公共性」を「公共圏」に改めた。なお、この点をふくめて、最近ハバーマスが三十年前の自著を論じた小論がある。ユルゲン・ハーバーマス「公共性の構造転換1・2──一九九〇年新版への序文」山田正行訳『みすず』三六四・三六五号(みすず書房一九九一年)。

●25 コーザー、前掲訳書二六─二七ページ。

●26 C・ライト・ミルズ『社会学的想像力』鈴木広訳(紀伊国屋書店一九六五年)二四八ページ。

●27 この点についてはジンメルの社交論が参照されるべきである。とくにG・ジンメル『社会学の根本問題──個人と社会』阿閉吉男訳(現代教養文庫一九六七年)八九─九四ページ。

●28 ハーバーマス『公共性』前掲訳書三三四─三三五ページ。

●29 ハーバーマス、前掲訳書三三四─三三五ページ。

●30 アルフレッド・シュッツ『現象学的社会学の応用』中野卓監修・桜井厚訳(御茶の水書房一九八〇年)第三章「博識の市民──知識の社会的配分に関する小論」。A・ブロダーゼン(編)『アルフレッド・シュッツ著作集第3巻社会理論の研究』渡部光・那須壽・西原和久訳(マルジュ社一九九一年)「見識ある市民──知識の社会的配分に関する一試論」。

●31 前掲訳書(桜井訳)五〇ページ。

●32 前掲訳書五一ページ。

12-7: 第六章 高度反省社会への課題

●1 井上俊「日本文化の一〇〇年──『適応』『超越』『自省』のダイナミクス」『悪夢の選択──文明の社会学』(筑摩書房一九九二年)。

●2 前掲書九四─九五ページ。

●3 前掲書一〇四ページ。

●4 前掲書一一七ページ。

●5 八木敏行『情報公開──現状と課題』(有斐閣一九八六年)「序論 いまなぜ情報公開か」とくに三五─三七ページ。

●6 自由人権協会(編)『情報公開法をつくろう──アメリカ情報自由法に学ぶ』(花伝社一九九〇年)一二三─一六五ページ。

●7 近年、企業社会において問題になっている「ディスクロージャー」は証券取り引きのさいの開示のことであり、きわめて狭い概念であるので注意してほしい。なお、日本の実情については、朝日新聞情報公開取材班『日本での情報公開──開かれた政府を』(朝日新聞社一九八一年)。十年以上前の本だが、残念ながら今だに通用する記述が多い。

●8 石坂悦男・桂敬一・杉山光信(編)『メディアと情報化の現在』(日本評論社一九九三年)に収められた二本の論文を参照。塚本三夫「『高度情報社会』における情報操作の問題──マス・メディアの総合情報産業化は何をもたらすか」ならびに柳井道夫「情報化と世論──環境認知の視点から──情報の受け手が遭遇する情報環境の変化」。

●9 ただし、テレビ・ニュースの論調がこれらの動きを誘発させたわけではない。

●10 H・E・フリーマン、S・レヴァイン、L・G・リーダー編『医療社会学』日野原重明・橋本正己・杉政孝監訳(医歯薬出版一九七五年)二七五─二七七ページ。園田恭一・米林喜男編『保健医療の社会学――健康生活の社会的条件』(有斐閣選書一九八三年)一六五─一八二ページ。砂原茂一『医者と患者と病院と』(岩波新書一九八三年)四五─五〇ページ。

●11 エリオット・フリードソン『医療と専門家支配』進藤雄三・宝月誠訳(恒星社厚生閣一九九二年)第五章。

●12 以下の説明では次の文献を参照した。水野肇『インフォームド・コンセント──医療現場における説明と同意』(中公新書一九九〇年)。星野一正『医療の倫理』(岩波新書一九九一年)。ジョージ・J・アナス『患者の権利』上原鳴夫・赤津晴子訳(日本評論社一九九二年)。砂原茂一、前掲書。

●13 アナス、前掲訳書三五ページ。

●14 前掲訳書四一ページ。

●15 以上は原則論であって、末期ガンの告知などの複雑な問題が他方にある。しかしそれらを考える上でも原則の確認は不可欠である。またじっさいにインフォームド・コンセントが普及しているアメリカでは「ディフェンス医療」などの新しい問題も生じており、ことはそれほどかんたんではない。このあたりのくわしい議論については、水野肇、前掲書。

●16 アラン・トゥレーヌ『ポスト社会主義』平田清明・清水耕一訳(新泉社一九八二年)。

●17 以下の議論をするにあたって次の論考を参照した。山口節郎「労働社会の危機と新しい社会運動」『思想』一九八五年一一月号。梶田孝道『テクノクラシーと社会運動──対抗的相補性の社会学』(東京大学出版会一九八八年)第6章「新しい社会運動──A・トゥレーヌの問題提示をうけて」。伊藤るり「〈新しい社会運動〉論の諸相と運動の現在」岩波講座社会科学の方法第八巻『システムと生活世界』(岩波書店一九九三年)。

●18 山口節郎、前掲論文二三ページ。

●19 ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論(下)』丸山高司・丸山徳次・厚東洋輔・森田数実・馬場孚瑳江・脇圭平訳(未来社一九八七年)四一二ページ。

●20 この点については、金子郁容『ボランティア──もうひとつの情報社会』(岩波新書一九九二年)。この本の描く世界──「もうひとつの情報社会」──は本書の議論に具体的なイメージを与えてくれる。たとえば本書での「見識ある市民」と金子のいう「ボランティア」を比較してほしい。

●21 梶田孝道『テクノクラシーと社会運動──対抗的相補性の社会学』(東京大学出版会一九八八年)第二章「受益圏・受苦圏と民主主義の問題──地域紛争としてみた国際空港問題」。

●22 前掲書五四ページ。

●23 前掲書五五ページ。

●24 鳥越皓之編『環境問題の社会理論──生活環境主義の立場から』(御茶の水書房一九八九年)五─七、一八─二〇、九六─九七ページ。なお、この本と一対をなす調査報告書として、鳥越皓之・嘉田由紀子編『水と人の環境史──琵琶湖報告書(増補版)』(御茶の水書房一九九一年)。

●25 鳥越皓之編『環境問題の社会理論』五七ページ。

●26 前掲書一六二ページ。

●27 原寿雄『新しいジャーナリストたちへ』(晩聲社一九九二年)一七九─一八〇ページ。

●28 欧米ではこれ以外に家族・友人・教会・地域コミュニティなどが有力なエージェントとして挙げられるが、現代日本の都市部住民の場合は学校とマス・メディアほど大きくないと推測される。地域紛争や市民運動の盛んな地域あるいは宗教教団や日々差別を受けている人びとについては、もちろんこのかぎりではない。政治的社会化の概念については、児島和人『マス・コミュニケーション受容理論の展開』(東京大学出版会一九九三年)二五─二七ページ。

●29 カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎(下)』篠原勝訳(早川書房一九九〇年)一七一ページ。

●30 原寿雄『新聞記者の処世術』(晩聲社一九八七年)一五二ページ。

●31 ユルゲン・ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論(上)』河上倫逸・フーブリヒト・平井俊彦訳(未来社一九八五年)二五ページ。

●32 P・L・バーガー『社会学への招待(改訂新装版)』水野節夫・村山研一訳(思索社一九八九年)三七─三八ページ。ただし一部修整した。

●33 新井直之「視聴者と共生するテレビへ」津田正夫(編)『テレビジャーナリズムの現在──市民との共生は可能か』(現代書館一九九一年)二五〇ページ。

●34 『戸坂潤全集』第四巻(勁草書房一九六七年)一五六ページ。

●35 今田高俊『モダンの脱構築──産業社会のゆくえ』(中公新書一九八七年)二一一ページ。

●36 エドガール・モラン『出来事と危機の社会学』浜名優美・福井和美訳(法政大学出版局一九九〇年)二一三ページ。

●37 ブレヒト「実験的演劇について」千田是也訳編『今日の世界は演劇によって再現できるか――ブレヒト演劇論集』(白水社一九六二年)一二三ページ。

●38 ハーバート・ブルーマー『シンボリック相互作用論──パースペクティヴと方法』後藤将之訳(勁草書房一九九一年)一九一ページ。

●39 前掲訳書一九四ページ。

●40 W・リップマン『世論(上)』掛川トミ子訳(岩波文庫一九八七年)一一一ページ。

●41 A・W・グールドナー『社会学の再生を求めて3』岡田直之ほか訳(新曜社一九七五年)第十三章「社会学者として生きること/自己反省の社会学をめざして」(栗原彬訳)二一六ページ。

●42 グールドナー、前掲訳書二一六ページ。

●43 伊佐山芳朗『嫌煙権を考える』(岩波新書一九八三年)七四─七五ページほかを参照。

●44 前掲書六八ページ。

●45 モラン、前掲訳書二〇九ページ以下。

●46 前掲訳書三六六ページ。

●47 前掲訳書二一五ページ。

●48 佐藤郁哉『暴走族のエスノグラフィー──モードの叛乱と文化の呪縛』(新曜社一九八四年)。吉岡忍『墜落の夏──日航123便事故全記録』(新潮文庫一九八六年)。

●49 佐藤郁哉『フィールドワーク──書を持って街へ出よう』(新曜社一九九二年)。

●50 ロバート・N・ベラー、R・マドセン、S・M・ティプトン、W・M・サリヴァン、A・スウィドラー『心の習慣──アメリカ個人主義のゆくえ』島薗進・中村圭志訳(みすず書房一九九一年)三五八ページ。

●51 前掲訳書三六二ページ。

●52 前掲訳書三六二ページ。

●53 前掲訳書三六四ページ。

●54 前掲訳書三五八ページ。

●55 C・ライト・ミルズ『社会学的想像力』鈴木広訳(紀伊国屋書店一九六五年)二四六ページ。

●56 前掲訳書二三七ページ。

●57 ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論(下)』四〇〇ページ。

●58 A・W・グールドナー『社会学のために(上)──現代社会学の再生と批判』村井忠政訳(杉山書店一九八七年)一四六ページ。

『リフレクション』第六章 高度反省社会への課題(1)コミュニケーションの透明性と対称性の獲得

野村一夫『リフレクション──社会学的な感受性へ』第六章 高度反省社会への課題(1)コミュニケーションの透明性と対称性の獲得

一 コミュニケーションの透明性と対称性の獲得

11-1-1: 現代日本社会における自省

理想的コミュニケーション共同体である市民的公共圏の理念に、現代の日本社会はどこまで迫っているだろうか。あるいはその可能性はあるのだろうか。この章ではこの問題について具体的に考えてみたい。

さて、井上俊は近代の日本文化を総観的に分析した論文のなかで、文化の基本的機能として「適応」「超越」「自省」を挙げている。●1「適応」とは現実の利害関係に実用主義的にあわせていく働きであり、「超越」とは理想や理念を掲げてそれを追求する働きである。これらに対して「自省」は「みずからの妥当性や正当性を疑い、みずからそれについて検討する機能」「その文化がよしとする理想や価値をも疑い、相対化する力」のことである。●2かれはこの三つの機能的要因の拮抗として近代の日本文化を見ていくのであるが、戦後の場合「自省」がはっきり認められるのは一九七〇年前後の数年間だという。

たしかにこの時期は、六〇年代の高度経済成長の副産物として公害問題が次々に顕在化し、被害者救済運動が急速に盛り上がった時期であり、安保闘争、学園紛争、消費者運動など、既成の日本社会のあり方を問うさまざまな動きが格段に強くなった時期でもある。

しかし、その後の二〇年あまりの期間に文化の再編と安定化が進み、「適応」が強くなり、「超越」「自省」が衰弱・変質し、三者間のバランスが崩れてしまったと井上は診断する。つまり、戦後の啓蒙主義的理想主義がほとんど解体し、人びとが「きれいごと」と感じてしまうようになった。むしろ身近な利害関心に即したものごとが歓迎される状況が醸成されている。この価値意識をよくあらわしているのが「ノリ」ということばである。一般に近年の若い世代は「ノリ」にこだわり、「ノリが悪い」のを嫌う。井上は、このような「ノリの文化」について次のように述べる。「もともと、ノリとは、人が周囲の状況や他者としっくり適合し、したがって自意識や反省の作用から解放されて、のびのびと動ける状態をいう。その意味で、ノリの文化は、適応要因と結びついている一方で自省要因を排除する面をもっているともいえる。」●3もちろんこれはひとつの側面にすぎないが、さまざまな要因によって結果的に現状肯定的な傾向が強くなり、文化全体が「適応」に一元化してしまった。これが現代日本文化の状況だという。●4

井上の論文は一九八九年の時点で発表されたものだから、ここで「ノリの文化」といわれているのはほぼバブル時代の風潮をさしていると見られるわけで、ここ五年間の変容が語られていないのは当然である。リクルート事件からバブル崩壊・平成不況・リストラ・政権交代といたる近年の流れのなかで、日本文化の「自省」が一九八九年前後から顕在化しつつあるとわたしは考えている。

すでにわたしは序論で「臨界の兆候」として現代日本の「自省」の必要性を示唆しておいた。それらは「兆候」というよりもむしろ「危機」というべきだったかもしれない。ほんとうの危機とは当事者が危機と感じていないところにこそあるのだから。しかし、そこには部分的ながら自己批判や自己点検のすでにはじまった領域もあれば、たんなる萌芽にすぎない領域もある。社会には、もともと「自省」の傾向の強い社会領域もあれば、そうでない直進的発展の支配的な社会領域もあるだろうから、一刀両断の時代診断を下すわけにはいかない。この節では、それらのなかから、反省的コミュニケーションが焦点になって久しいいくつかの領域を検討して、今後の方向性を探っていくことにしよう。

11-1-2: ディスクロージャー

最初に検討したいのは「知る権利」の行使に関するさまざまな動向である。民主主義であるためには、政治的決定や経済的決定をするさいに、その影響を受ける者が有効な声をあげることができなければならない。その声をあげるには、まず何よりも「知る」ことが必要である。しかし、わたしたちが「見識ある市民」として必要な知識を手に入れようとしても、じっさいにはたいへんなコストがかかるだけでなく、まったく入手不可能なケースも多い。これを改善しなければ市民的公共圏どころではない。知識の社会的配分の偏在性を解消すること。そこで注目されるのが「ディスクロージャー」である。

「ディスクロージャー」(disclosure)は、これまで「情報公開」「情報開示」と訳されてきた。最近はたんに「開示」やこのようにカタカナ表記されることが増えてきているようだが、法律的な議論では「情報公開」「情報開示」が一般的に用いられている。ちなみにゴルバチョフが始めた「グラスノスチ」はこれを拡張したような政策だった。

ディスクロージャーがとくに問題になるのは、政治権力・行政権力・企業(経済権力)である。前二者の場合、国家と地方自治体とで事情は大きく異なる。地方自治体では一九八〇年代に急速に情報公開条例が施行されているのに対して、国の情報公開法は今だに実現していないからだ。企業の場合も相当遅れている。こちらには「企業秘密」という名分があるからだ。しかし、安全や環境など社会的責任のある分野については行政の監督下にあるわけだから、行政のディスクロージャーでかなりの部分が解明できるはずである。その意味でも、国家行政のディスクロージャーが決定的に重要である。

地方自治体から情報公開が制度化されたのには事情がある。八木敏行によると、情報公開運動が盛んになった背景には三つの動機があった。

第一に、一九六〇年代にあいついで生じた公害・環境破壊・都市問題・消費者問題などで日本各地に草の根的な市民運動・住民運動が権利救済を目的に起こり、それらが行政や企業に対して情報公開を求めるようになったこと。これが「第一の起爆剤」である。第二に、一九七二年の「外務省機密文書漏洩事件」によって「知る権利」がクローズアップされ、一九七六年のロッキード事件や一九七八年末のダグラス・グラマン事件など一連の航空機疑惑が政治や行政の密室性を問題化し、開かれた政府と情報公開が求められた。第三に、地方自治への参加の要請がある。一九七三年の石油ショック以後の経済成長優先主義への反発・脱物質主義・地方回帰・コミュニティ復権の流れのなかで「地方の時代」ブームが起こった。そこで地方の自治・参加・分権を志向する議論が活発になり、情報公開条例が次々に実現することになる。●5

このように情報公開制度はこれ自体すでに日本社会の「自省」の産物である。「見識ある市民」による運動によって主体的につくられたものだ。現在は地方自治体にとどまっているこのディスクロージャーの流れを国や企業におよぼすことが今後の課題であるが、またさらに医療現場や学校・大学など、公開性の原則をさまざまな分野に拡大適用していくことも忘れてはならない。

ところで「情報公開法」によって何がわかるのだろうか。たとえばアメリカの情報自由法(the Freedom of Information Act: FOIA)によって引きだされた開示事項の数々を分類した「フォーマー・シークレット」は以下の項目を立てている(なおカッコ内は補足説明ないし事例)。(1)消費財の安全(欠陥商品の発見)、(2)薬の安全性・政府の人間行動コントロール(食品医薬品局へ提出された製薬企業の新薬データによる危険性の発見と新薬の人体実験の公開)、(3)環境と原子力(放射性廃棄物や殺虫剤の処理状況)、(4)不正行為・浪費・政府の支出(納税者による監視)、(5)労働者と市民の権利(差別待遇の実態)、(6)ビジネス(食品薬品局などによる企業査察報告書を企業が開示請求し情報収集に利用)、(7)歴史(現代史的研究)、(8)外交と国防、(9)政治的活動への政府の介入(FBIやCIAによる諜報活動の実態)、(10)税(国税庁の活動を知る)。●6

このように行政の情報公開法(条例)によって相当の知識を社会的コミュニケーションに乗せることができるのである。八木のまとめによると、情報公開は権利救済・監視と批判・行政参加・情報利用の四つの機能を果たすという。だれもがこのようなチャンスをもっているとすれば、たとえば公害企業が企業秘密をたてに重要な情報を独占・隠蔽するといったことは無意味になる。そもそも企業が情報を独占・隠蔽するのは、被害者をふくむ当事者たち──かれらはすでに事実を少なくとも体験的に知っている──以外の第三者にそれが伝わって、企業の信頼やイメージが損なわれたり、経営に響くのを怖れるからである。それが行政サイドから流れるとすれば、独占・隠蔽の効果がないだけでなく、かえって企業イメージを損なうことになってしまう可能性さえ生まれる。

ここでひとつの理想を描くと、企業が内部情報を白書のように公開することによって社会的責任を果たし、消費者がそれを信頼性として高く評価することによって、結果的に企業のシェアを上げることになれば、日本の閉鎖的な企業文化も開放的なものに変わっていくだろう。消費者の成熟に対応して、広告戦略やイメージ戦略一辺倒の企業コミュニケーション政策を見直しする時期もそう遠くないかもしれない。けれどもしばらくは試行錯誤がつづきそうである。●7

11-1-3: マス・メディアの両義性

さて、とりあえず現時点で自発的なディスクロージャーがないとなれば、だれかが意識的に開示・公開する作業をしなければならない。ここで「知る権利の代行」が必要となる。それが厳密な意味でのジャーナリズムである。現在では、それはもっぱらマス・メディアの仕事になっているが、市民運動グループが代行することもふえている。しかし社会的に大きな影響をおよぼすとなれば、何らかの形でマス・メディアが関与しなければならない。

すでに述べたように、現代人のコミュニケーションは「メディアを媒介にした相互作用」になっているため、コミュニケーションが当事者たち(送り手であろうと受け手であろうと)の意図をこえてメディアの自律性によって左右される。つまりメディア自体のさまざまな事情によってコミュニケーションが大きく変容してしまうのである。とりわけマス・コミュニケーションは技術的な要素だけでなく、市場原理や経営方針といった経済的要素や、政府の許認可や行政指導などの政治的要素が濃厚にコミュニケーション内容を規定し、またそこで働く人たちの意識や知識のありようにも大きく左右される。

現在のマス・メディアの抱えるもっとも根本的な内部事情は「総合情報産業化」である。社会が複雑化してジャーナリズムの機能強化がますます必要になっているにもかかわらず、マス・メディアの総合情報産業化によって、ジャーナリズムは慢性的な危機状態が続いている。●8

「ジャーナリズム」と「総合情報産業」のどこがちがうかといえば、前者が権力をもつ側──政治権力であれ経済権力であれ専門家の権力であれ──に対するチェック機能を主軸とするのに対して、後者は「経済的価値を生む情報」を売るわけだから結果的に権力をもつ側によって発表された情報を市場に供給することになる。前者が権力作用に抵抗するコミュニケーションだとすると、後者は権力作用に内在するコミュニケーションであり、ディスコミュニケーションの再生産になりがちである。そしてマス・メディアにおける総合情報産業化の傾向とジャーナリズムの衰退は、「権力のことば」「消費のことば」の過剰な流通をもたらすことになる。

このような送り手の事情がある一方で、ジャーナリズムそのものに対する受け手側の不信も募っている。誤報・やらせ・センセーショナリズム・集中豪雨的取材・マンネリ・難解……。これらの不信は、ともすればPTA的な「俗悪」マスコミ批判・自民党関係者やタカ派文化人の「偏向報道」批判・「法律で取り締まれ」という「お上意識」の強い庶民による強権発動待望論などを誘発する。今日ジャーナリズム批判をすることのむずかしさはここにある。

しかし、一九八〇年代末あたりからテレビにおいてニュース戦争が過熱し、現在に至っている。これまでテレビ局において「ニュースは金食い虫だ」との声が常識だったのが、テレビ朝日の「ニュース・ステーション」の成功をきっかけに、ここにきて市場原理が働くようになったのである。なぜかというと、多くの受け手が支持するようになったからである。支持が多ければ視聴率も上がりスポンサーもつく。この受け手の支持こそ日本社会の「自省」のあらわれと見ることができる。その意味で、政界のドンの逮捕、建設業界の談合や政界工作の摘発、政権交代といった一連の転換劇はこのニュース戦争と一体のものである。●9

しかし一方でこれさえもテレビ朝日の椿報道局長の証人喚問に見られるように、政治権力による露骨な圧力が加えられる。送り手も受け手もマス・メディアの両義性(相反する特質を同時にもつこと)をしっかり認識することが必要だ。その上でリフレクションを活性化させるようなコミュニケーション制度の構築をめざすべきであろう。

11-1-4: 専門家支配とインフォームド・コンセント

「コミュニケーション」というとマス・メディアの話、「知る権利」というと法律の話、「民主主義」というと政治の話と決めつけないでほしい。これらが絡む現場はわたしたちの社会のじつにさまざまな領域に広がっている。その一例として医療現場を検証してみよう。

まず医療現場の人間関係を極度に単純化して、医者と患者の関係にしぼって考えたい。サスとホランダーの有名なモデル化によると、医者(あるいは治療者)と患者の関係には三つのタイプがありうる。まず第一に「能動−受動の関係」(activity-passivity)あるいは「親−幼児モデル」。これは重傷・大出血・昏睡などによって患者が自分で何もできない状態にあるとき、医者が患者の「最善の利益」を考えて処置するさいの関係である。第二に「指導−協力の関係」(guidance-cooperation)あるいは「親−年長児モデル」。患者が、何がおこっているかを自分でもよく知っており、医師の指示にしたがう能力も、ある程度の判断を下す能力ももっていて、病気をなおすために積極的に医者に協力できる段階の関係である。第三に「相互参加」(mutual participation)の関係あるいは「成人−成人モデル」。糖尿病や高血圧などの慢性疾患に妥当するタイプ。この場合、患者自身が治療プログラムを実行するわけで、医師は相談にのることによって患者の自助活動を支援するだけである。●10

第一と第二のタイプは程度の差こそあれ基本的にパターナリズムに基づいている。もともとパターナリズム(paternalism)とは、一家の主である父親(あるいはこれに類する成人男性)が責任をもって家族のめんどうを温情的にみることに由来するが、その分、父親は家族に対して絶対的権威をもって臨み、ひとりひとりの自由や意志を尊重しない。一種の押しつけ的干渉である。

第一と第二のタイプは医者がこうしたパターナリズムを患者に対しておこなうケースである。したがってそこに患者の自律──あるいは自主性といってもいい──は認められていない。患者は治療者のいうなりにしなければならない。なぜか。治療者は専門的な知識と技術をもっているからである。しかも、かれらは患者のために必ず最善をつくすということになっている。親が子どものために最善のことをしてくれるのと同じように。つまり、この前提には「専門家は自分たちにとってもっともよい対策を知っていて、かならずクライアントの利益のためにそれを代行してくれる」という常識的知識が存在する。患者の自発的服従の前提には、このような一種の「信頼」がある。ところが、その委任によって患者の自律性(自分のことを自分で決めること)は失われてしまいがちである。医者の裁量権の名の下に、患者の望まない治療が承諾なしにおこなわれたり、治療を受けている患者が自身の身体に生じている事態を知ることができないといったことが生じる。この傾向は日本の場合とくに顕著である。患者は何も主張せず、医者は患者に主張されるのを極端に嫌う。

このような状況を社会学では「専門家支配」(professional dominance)と名づけている。●11わたしたちの社会では特定の分野について専門的な知識と技術をもつ人びとが実質的なイニシアティブをもっている。それに対して、しろうとは口だしできないのがふつうである。それはある人びとの自律性のために他の人びとの自律性が犠牲になるという不均衡な状況の典型であり、それゆえ権力作用の有力事例となりえる。

これに対して近年「患者の権利」を求める運動が盛んになり、その有力な方法原理として「インフォームド・コンセント」が注目されている。●12「インフォームド・コンセント」(informed consent)は、以前は「説明と同意」と訳されたが、最近は「よく知らされた上での同意」と訳される。要するに、医者から治療に関する説明を受けた上で、患者がそれをよく理解し、そののちに同意するという手続きのことである。その基本原理は「リスクを伴ったり、別の方法があったり、または成功率が低いような治療や処置について患者に同意を求めるにあたっては、あらかじめ、しかるべき情報を提供しなければならない」というものである。●13この場合の「同意」は「判断能力のある人が、自発的に、情報と理解にもとづいて行なうものでなければならない。」●14つまり患者に完全な成人性が前提され、しかも「コミュニケーション合理的」な討議が十分になされていることを要請しているのである。

インフォームド・コンセントは「見識ある市民」「自省的市民」を医療現場に持ち込むことを意味する。知識に関して「医者は専門家・患者はしろうと」の図式をはみだして、患者が自律した事情通・ジャーナリスト的存在として行為すること、そして対等の医者─患者関係(成人─成人モデル)をつくりだすこと、診療室をコミュニケーション共同体にすること、病院を市民的公共圏にすること──それが「インフォームド・コンセント」が前提としている思想なのである。●15

序論において「臨界の兆候」として取り上げた院内感染の問題に立ち返ると、夫を亡くした妻が「自省的市民」として医療現場で常識とされている知識と行為を問い直すことによって、医療にリフレクションを吹き込むことになった。それは一見「反医療」に見えるけれども、じっさいにはむしろ医療に主体的に参加していこうとする自発的な意志のあらわれなのである。また、第三章で紹介したように、スモン事件の被害者が裁判闘争の目標に「薬害根絶」を掲げ、確認書和解という特異な結末を引きだしたのも、「見識ある市民」「自省的市民」としての行為といえるだろう。

結局、インフォームド・コンセントとは、劣位の立場に置かれている側に成人性を認めて、非対称的なコミュニケーションに対称性を取り戻す試みである。その意味では、わたしはインフォームド・コンセントを拡大解釈したい誘惑に駆られる。たとえば教育関係者。もちろん大学教員も例外ではない。医療と同じことが教育にもいえるのではないか。どちらも専門家支配の確立した世界だからである。とくに成人を対象とする大学教育においては、単位評価認定基準を公開することからすべては始まるのではないか。「単位評価は学問そのものにくらべれば二次的なもの」として軽視し、そればかりを気にする今どきの学生を嘆きながらも、じっさいには単位評価をブラックボックス化することで一種の権力源泉として効果的に利用している教員のあり方は、このさい問い直されてよいのではあるまいか。そして医療において患者の成熟(成人化)が重要なカギをにぎっているように、依存体質の強い学生の成熟も重要であろう。